三十分間、図書室にて
ニヶ月間、日本にて
何だかすぐに家に帰ってしまいたくなくて、図書室で適当な本を捲り時間を潰していたが、
慣れない活字で目が疲れ、ツナはそこから目を背けた。
まだ、15分しか経っていない。
こういう時ーちょっとのはずの時間が物凄く長く感じてしまう時、1ヶ月なんて永遠に来ないように思えるのだ。
乗り切れないように、思えてしまうのだ。
(遠いー…)
窓から見える空は高く青く、吸い込まれそうなほどだ。
いっそ吸い込まれて、一時何も考えられないようにさせてくれたらいい。
ワープしてしまいたかった。一ヶ月後に。
それを考えて、恋で全てが埋め尽くされた少女のような自分の考えに、少しうんざりしてしまった。
「なにしてんの、ダメっこ」
「った!」
バシっと後頭部を叩かれ、ツナが振り返れば、クールな眼差しと交わった。
黒川花。中学時代、一緒のクラスになった彼女が、まさか一緒の高校に来るとは思わなかった。
中学に比べて、格段に美しくなった。切れ長な瞳に、長身で細身の体。長い黒髪に、男前な性格。
男子にも十分、人気はあったがその数倍、女子からの人気が圧倒的であった。
まさかこんなに、話すようになるとは思わなかった。
憧れの「京子ちゃん」の友達として知っていた花に、まさか自分と山本の、いわゆるそういう関係を話すまでになるとはー
夢にも、思わなかった。
カタンと椅子を引き、ツナの隣に腰掛ける。二人以外には誰も居ない図書館は、僅かな音さえ響かせた。
ツナが本を閉じて睫毛を伏せると、花は楽しげに笑ってみせた。
「あんた、寂しいんでしょ。山本が居なくて」
「そ、そりゃ…そうだろ…」
「一ヶ月すりゃ、戻ってくんでしょ」
「うん、そうだよな…。ほんと、そうなんだけど…」
分かっているのに、何が不安なのだろう。よく分からない。
違う、分かっている。よく分かっている。自分は恐がっているのだ。
ここから離れればー遠い、遠すぎる海外なんて行ってしまえば、夢から覚めたようになってしまうのではないかと。
男同士、しかも自分なんて何の取り得だって見つからないーそんな男と付き合っているなんて、
日本に居た頃はどうかしていたと、気がついてしまうのでは、と、それが恐ろしいのだ。
この地から離れて、広い世界を見てしまえば、自分のことなど、ちっぽけな思い出になってしまうのではないだろうかと
(思い出にすらならなかったらどうしたらいいのだろう)恐かった。不安だった。そして寂しい。
「私なんて京子と毎日会ってない」
「毎日、って…」
「会いたい。毎日。毎日会いたいのに、会ってない。あんたは、一ヶ月すりゃ毎日会えるんだからいいんじゃないの」
「ん…」
花は、頭だっていい。
何故京子と一緒の学校を選ばなかったのかー不思議に思ったが、それはまだ聞いていない。
けれど、京子を好きだと、何回か聞いた。
自分と山本との関係を、花が知ってから、色々と話してくれるようになった。
「…正直言うとさー、山本のこともちょっと好きだった」
「……は?」
「だから、山本。あんたが大好きで大好きで堪らない山本武」
「う…うそだろ…!?」
ガタガタと大きな音を立てて、椅子から立ち上がった。
冗談だと思いたいのに、花が長い睫毛を伏せたものだから、
その横顔が真剣だったから、ツナはどうしたらいいのか分からなかった。
オレという存在がいなければ、山本はこんな、皆が羨ましがるような彼女が出来ていたのか!
そんな事もふと、考えたが、それはもうとっくの昔に悩みに悩んだことだった。
山本に想いを寄せていた女子は沢山いた。綺麗な娘。勿論、皆が羨むような女子だって居た。
花に限ったわけではなかった。
その都度、ツナは悩んだのだから。
「や、でもちょっとの時間だけ。昔のこと。今は可愛い子がいい」
「は、あ…。そうなんだ…。…その…黒川…、オレ、」
「何考えてんの。もう今はいいんだから。ちゃんと応援してやるよ」
素直に頷くことができない。
しかし自分は山本と別れるなんてことは出来ないのだから、花に何を言ったって、所詮、上っ面だけの言葉みたく
なってしまうだろう。けれど、頷くのも出来ずにー。
だって、花は好きだったのだ。
どんな気持ちだろう。好きな人間が、男と付き合っていたなんて知った時。
眉間に皺を寄せ、ツナがしょぼんとしていると、花はふっと笑って、ツナの頭を撫でた。
「なに、その顔」
「…黒川、今は好きな人いるの?」
「京子。可愛いしね、凄い大事なんだー」
「そっか」
「ちょっとは驚きな」
「何回か聞いてる」
ピシっと額にデコピンをくらい、イデっとツナは額を抑えた。
「オレも、応援する…」
額を抑えたまま、ヘラリと笑うと、花は瞳を丸くさせて、ズイっと顔を近づけた。
綺麗な顔が視界の全てを占領して、ツナはボっと顔が赤くなるのを感じた。
ついつい後方に身を倒す。すると、花も前方に身を傾ける。
「あんたも結構可愛い」
「は……」
「ツナが女だったら、モノにしてやってもいい」
「なんだそれ…」
「もしくは私が男だったら、襲ってやったのに。山本から、奪って恋人にしてやってもよかったのに」
口付けされそうなほど近く、近く顔を接近させられた後、パっと離れられた。
軽い笑みを浮かべると、カタンと席から立ち上がる。少し首を傾けて、上から見下ろされる。
「山本に、黒川にこんなこと言われたって報告してみな。結構独占欲強いっぽいし、飛んで帰ってくるかもよ」
「は?」
「あ、やっぱやめ。山本、怒ると結構恐いんだった」
ぐうっと伸びをして、花は背を向ける。
扉へ歩いていく途中、本棚に触れ、いくつかそっと本を引き出しては戻し、引き出しては戻し、その行為を繰り返していた。
「…あんたは女じゃないし、私は男でもないけど、あんたのこと、嫌いじゃない」
「へ…」
「可愛がってやるくらいには、興味ある。…あの山本に愛されてんだから、自信持ちな」
振り返って花特有の、余裕ある笑みを浮かべると、今度こそ扉を開け、図書室から出て行った。
ツナは暫くポカンとしていた。
ああでも、慰めてくれたのだろうか。山本と離れて、あまりに元気のない自分を。
彼との関係を知って、非難しないでいてくれるだけでも、吹聴しないでいてくれるだけでもありがたいのに。
(いいやつ…)
その晩、花に言われたことを報告はしなかったが、花と色々話したというのは、山本に電話で話した。
山本は面白そうに、へえ、と聞いている。
受話器越しに聞こえる、山本の一声一声が、体に染み渡り、それはすぐに喜びとなった。
ああ、山本の声だと実感する度、温かくなってくる。
『あーあ、早く帰りてーな』
山本にしては珍しい言葉に、ツナは何かあったのかと心配になった。
「なんで…。なんか、あった?」
『いや、野球は楽しいけど。ツナいねーし。結構、我慢限界…』
って、みっともないからこういう弱音は吐かないようにしてたんだけど、と、山本が笑った。
今、山本がどんな顔で受話器を握っているのかが頭に浮かんでくるようだ。
ーそんなことを思っていてくれたなんて、ツナは嬉しくてたまらなかった。
ここを離れても、側を離れても、広い世界を見ても、山本は変わらずにー。
じんわりと、胸が熱くなる。
「オレも。帰ってきたら、山本に話したいこと、沢山ある」
たくさん、ある。何から話したらいいだろう。
全て、帰ってきたら話す。顔を見ながら話がしたい。
あと一ヶ月。
会えない日々を憂鬱に思えば、手が届かないもの。
会える日を楽しみに待てば、もう、すぐそこにあるもの。
|