教室から逃げ出して
真っ青な空の下を走り抜けて 無理はしない主義だけれど
君となら そういうのもアリだって
DISTANCE
「補習を始める!お前ら、そろそろ大事な時期なんだからな、喋らないで真面目にやれよ!」
放課後ーいつもとは違うクラスに飛ばされ、補習が行われる。
数学・国語。二教科の点数が悪かった者が一箇所に集められるのだ。
山本と隣の席に着くと、早速教師がプリントをまわす。
ツナは数学。
山本は国語。
それぞれ、以前のテストと同じ内容だ。
山本と目を合わせ、「意味わかんない」という顔をし合った。
数式なんて、見たって全く意味が分からない。ただ、数とアルファベットが適当に羅列している物ーといった感じだ。
(やばいなー…)
もうすぐ皆、受験に燃えて、教室で参考書を開いたりなんかするのだろう。
そうなったら、自分は物凄く焦り出してしまうに違いない。
焦るだけ焦って、やる気は起きないに違いない。
扉からもう一人、教師が覗き込んだかと思うと、担当の教師にゴニョゴニョと話し始めた。
すると、何回か頷いた後、生徒に向かって声を響かせる。
「ちょっと教室を離れるが、ズルするなよ!真面目にやるんだぞ!」
そう言うと、スリッパを床に擦らせながら、慌てて、教室から出て行った。
教師が去った初めの方こそ、皆、静かにシャーペンの音を鳴らしていたが、次第に声が出始める。
ザワザワ、ザワザワー…決して騒ぎはしないが、小声で話し始めていた。
「−…ツナ、どっち?」
「数学…意味わかんない…」
「オレ国語。…数学、この前のテストのまんまだよな?数学ならそこそこ出来たけどー…」
「ほんと?オレも、国語のは割りと良かった…」
「−………」
「−………」
視線を合わせたまま、暫く黙ると、山本が口許を上げた。
「やっちゃうか」
「ん」
一瞬で、前を向いたまま、バっと素早く用紙を交換すると、それぞれ、相手の名前を書き始めた。
ガリガリガリガリと、真剣に用紙に書き込む。
分からないところは適当で、教師が戻ってこないうちに、仕上げてとっとと帰りたい。
山本は終わったようで、ツナの方に視線を向けていた。
するとツナも、シャープペンをカラリと落とし、天に向かって腕を伸ばした。
「できた!」
「よっしゃ、帰るか」
勢い良く席を立ち上がる。が、丁度その時、教師が戻ってきてしまった。
「おい!お前ら、終わったのか?」
教師が不審な眼つきで二人を見た。
ツナは少し怯んでしまったが、山本は堂々と駆け出し、プリントを軽快に机に置くと、
ツナを引き寄せた。
「センセーまた明日!行こうぜ、ツナ!」
「さ、さよなら!」
ツナも遠慮がちに、ペコリ、と頭を下げる。
教室を向け、廊下に出ても尚、走る。通りがかりの女子達がヒラヒラと手を降ると、山本も「またな」と言い返す。
嬉しそうに笑う女子達を、あまり見たくなくて、ツナは少し後ろを振り返ってみると、ギョっとした。
「コラー!お前ら、またんか!」
「や、やや山本、先生、追ってくるんだけど」
「はあ?マジかよー。しつけーな」
「うん…ていうかプリント出したのに何で追ってくんのー!?」
「…それもそうだな」
山本は一端止まると、教師を振り返った。
「先生、プリント机に置いたの気づいてくれた?」
すると追ってきていた教師は、足を止めた。
エ、と目を見開くと、「そ、そうか…」と、恥ずかしそうに俯いた。
山本達に背を向け、教室に向かおうとしたが、教師は振り返った。
「気ィつけて帰れよー!」
二人で「はーい」と、大きく返事をすると、今度はゆっくり歩き出した。
自分は少し走っただけで、ゼイゼイとしているというのに、
全く息を乱していない山本を見て、凄いなあ、と、ツナは益々感心してしまった。
やはり日頃のトレーニングだろうか…、などと考えていると、さっき山本と軽く挨拶を交わした女子達が寄ってきた。
「山本君、補習もう終わったの?早くない?これから部活?」
「何もないんだったら、遊ぼうよ。二中の子達も誘ったんだよ」
「んー…部活はねぇんだけどー…ツナ、今日用事ある?」
「ないー…けどー…」
優しい山本の事だ。
ツナも一緒に行かねぇ?と言われるのかと思い、複雑な気分になる。
この女子達もあまり知らないのだ。
その上、いきなり知らない中学の女子達と混ざって遊べるほど、自分は器用ではない。
それに、彼女達も自分が行ったら迷惑なんじゃないかと考えてしまう。
「じゃ、ちょっと付き合って。あー、悪い。今日ツナと遊ぶから、また今度な」
「えー、なんで?だから沢田君もおいでよ。可愛い子いるよ?」
「みんなで遊ぼうよ」
「今日はパス。ツナとデート」
「えー!!」
面白そうに笑いながら、女子達はツナに視線を向けた。
見られても答えに困るツナは山本に視線をやったが、山本はいたずらに口許を上げただけだった。
「なにそれ!沢田君、正妻なわけ?沢田君〜!今度山本君貸してね」
「ていうか沢田君も今度おいでよー」
ね。と、ポンポン頭を撫でられる。
男にやるかと思いつつ、彼女達の優しい笑みに、ツナもつい、微笑み返してしまう。
「じゃあなー!」
山本はまた、ツナの手を引いて走り出す。
廊下を抜け、ゲタ箱を抜け、学校を抜け、真っ青な気持ちいい空の下を駆け抜ける。
不思議だ。
怯えていた先生も、全く話さなかった女子も、全て、全て、山本を通して、違う世界が広がっていく。
自分の頭の中で、決め付けて、何一つ動かなかった世界が、ぐるりと動いていく。
全て、彼を通してー
「ここ…っどこー…」
もう限界だ。
ゼイゼイと息を切らし、風が強い場所に来た。
真っ青な空。そして、此処はどこなのか、真っ青な海もある。
薄っすらと汗ばんだだけで、あまり息を乱さない彼を、流石だと思っていると、山本はヒョイとツナを持ち上げ、
堤防に乗らせた。
「わ、…っ」
「後ろ、海だぜ」
振り返って見渡してみると、キラキラと揺れる水面に、果ての無い、大きすぎる空が見えた。
本当に、どれだけ走ったのだろうとー疲れたとー思っていたはずなのだが、段々と、気持ちよくなってきた。
「…ここ、よく来る?」
「や、全然。今日初めて」
「へ、へえ…」
適当に走っていたら着いた、との彼の言葉に、またしても器の大きさを感じた。
山本に手を引かれ、走ってきた。今までー
しかし、これから、別々になってしまうのだろうか。
「山本って、高校ー…野球の推薦?」
「んー…今んとこ、そういう話も出てる…かな」
「そっか…そうだよなー…」
「ツナは?」
「ん…まだあんまり…全然決めてない」
本当に、何もない。
マフィアの事もあるだろうし(まだ信じたくないが)先の事は何もわからない。
ただ、親しい友人と離れてしまうのではないだろうかと。
せっかく出来た、友人ー。獄寺や、山本。
彼等と離れてしまうのでないだろうかと。
山本が自分の手を、離してしまうのではないだろうかと。
海の側だけあって、風がとても強い。
ビュウビュウと、風に吹かれながら、海を見ていたが、堤防に寄りかかっていた山本が呼んだので、
顔を下に向けた。
いつもは見えない、山本の、つむじが見える。
「大学は?」
「いや、大学なんて全然わからない。高校ですらわかんないし。山本は何かあんの?」
「そうだなー…野球強いとこで考えっかなー…」
「だよね」
はは、とツナが笑う。
上からブラブラとさせているツナの手を、山本がそっと掴んだ。
掴んだというよりは、触れた。
「高校も大学も、オレと一緒のとこ、来いよ」
ツナはあんぐりと口を開けたまま、何も言えなかった。
彼の言葉が、あまりにも静かで、あまりにも真摯で、あまりにも ー 嬉しかったから。
自分だって、出来るならそうしたい。
これからだって、手を繋いでいたい。
ーいや、繋ぐ、というのはおこがましく、実際は引っ張ってもらっているーと、ツナは思っている。
「−…うん、そうしたい…けど…」
「けど?」
「中間、数学の点数、酷かった」
「まだ時間あるだろ」
「国語は奇跡的にアレだったけど、それ以外酷かった…」
ツナがしょぼくれていると、今度は確かに、ツナの手を握り、上を向いた。
「大丈夫だって!な?−…帰って一緒に勉強すっか!」
「う、うん…でも…」
二人で出来るのだろうかと、ツナは首を傾げる。
すると山本は、携帯を取り出し、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「こんな時の為の獄寺クン、だろ?」
プ、とツナが吹きだすと、山本は腕を広げ、今度はツナを地上に降ろした。
ずっと足をぶらつかせていた為、何だか酷く久しぶりに、コンクリに足を置いた気になる。
「行こうぜ」
また、走り出す。
ツナも慌てて、山本の後を追う。少し振り返り、ツナが追ってきているのを見ると、また走り出す。
(山本も、獄寺君も)
置いていったりはしない。
いつも、いつも、後ろを振り返ってくれている。
それに追いつこうと、必死に走っていく。
ぐるり、ぐるりと、いつだって自分の世界を動かし回転させて。
全てを広げていってくれるー他の何かを、見せてくれる。
高校が違ったって、大学が違ったって、いつか他の道 − 歩くようになったって
すぐ側に、いられなくたって。
彼との距離は開くことはないのだと、そう信じている。
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