2月14日、バレンタインデー。
男子は大抵、チョコレートを欲しがるだろう。
勿論、好きな女の子からなら、一番嬉しいのだろうが、そうでなくたって、嬉しいものだ。
だが、彼はそういったタイプには見えなかったし、第一、特別望まずとも、軽々と手に入っただろう。

ー獄寺隼人は、チョコレートが欲しいらしい。









バレンタイン終了10分後










「特別な誰かから欲しいんじゃないだろうか」
皆そう思っていた。
何故なら、黄色い声をあげられても、嬉しそうな顔一つ見せない彼が、チョコレートの数で喜ぶなんてことは、
全く想像できなかったからだ。
ならば、欲しいチョコレートは一つ、誰か、想いを寄せる人物から。
それを望んでいるに違いないと、誰もがそう思った。

「獄寺君、あのさ、何か、噂が出回ってるみたいなんだけど」
「はい?」
「獄寺君が、チョコを欲しがってるって」
「…誰からですか?」

獄寺はギクリとした。
自分から、望んでチョコレートを貰いたいと思っている人物など、この世に一人しかいない。ツナだ。
それがもし、噂にでもなってしまえば、ツナに迷惑がかかるし、ボスと部下という立場の、この関係でさえ危うくなる
可能性がある。

「ん、それがわかんないんだけど…とにかく誰かから、貰いたがってるって」
「そ、そっスか…」

事の発端は、二人の会話を聞いた女子が、グループ内の女子に話し、そこから話が広がっていったのだ。
その時の二人の会話は、見事に食い違ったものだった。
バレンタインが近づいてきたある日、ツナは何気なく、獄寺にチョコの話を持ちかけた。
彼から、何も色恋沙汰の話を聞いたことがなかったので、日頃から気になっていたのだ。

『獄寺君、バレンタイン…チョコ、欲しい?』

驚いた。胸が鳴った。
まるで、バレンタインにチョコレートをくれる可能性があるような、質問だ。
落ち着け、落ち着け、と心の中で唱えてみても、全く落ち着けない。
それは無理もない。
ツナから、チョコレート。欲しいとは思っても、絶対可能性はない、と諦めていたのだから。
それが、どうだ。今の質問は。

『…っ欲しいっス!』
『え、え?そう、なんだ?』

意外だ、と思った。
ツナにしてみれば、もちろん「自分からの」チョコレート、という意味で聞いたわけではない。
ただ、獄寺を想う女子からのチョコレートを、欲しいのかと、聞いただけだった。
普段の獄寺から受けるイメージで、そういう答えが返ってくるとは思わなかったツナは、驚いてしまった。
そしてその会話を聞いた女子もまた、勘違い。
ただ、獄寺が「チョコレート」を欲しがっていると解釈した娘は、自分が思ったままを、グループ内の女子に話した。

「意外ー」
「特別に、誰か一人からってコトじゃないの?そういう事、言ってなかった?」
「んー…そこしか、聞いてないからなあ…」
「でも、獄寺君て、チョコレート一杯貰って喜ぶ感じじゃなくない?」

数人の女子が、口々に、自分の意見を言う。
そして他の女子も、このテの話題が好きらしく、他の女子グループも話に加わり、輪は大きくなっていった。

「じゃあ、やっぱり好きな人、いたんだ…」
「誰かな、B組の小川さんとか?」
「京子ちゃんじゃない?」
「え、それよりC組の野田さんー…」

男子に人気のある女子が、次々と上げられていく。
ガッカリと肩を落としながら、あからさまにショックを露にする者も少なくない。
じゃあ、今年はチョコレートあげても、受け取って貰えないのかなあと、少女達は嘆いた。
しかし、皆、表では嘆いてみせても、その実、
「もしかしたら、本当に、単純に、チョコレートが欲しいだけなのかもしれない」
そういったときめきも、胸に抱いていた。
いや、むしろ、そちらの方が大きかった。彼だって、男なのだから。
チョコレートをあげるのを諦める者もいたが、そういう期待から、諦めない者も居た。
つまり、一番仲が良いとされているツナの所に、情報収集に行くのは当たり前のことで。
もう、どのくらいの人数に喋ったか、ワカラナイ。

彼は、甘いものが好きなのか。
彼は、好きな人はいるのか。彼女は、いないのか。
彼は、どんなチョコレートが欲しいのか。

そんなことは、ツナだって、良く知らない。
曖昧な返事をするばかりの自分に、彼女達は「ありがとう」と、あからさまに肩を落として帰って行った。
だから今日、珍しく朝早く、ツナが学校へ登校した時。
チャンスだと言わんばかりに、数人の女子から話しかけられた時、もう既に会話の内容が、頭の中に浮かんでいた。

「ね、今、獄寺君、噂になってるよね。好きな子とか、いるのかな」
「ど、どうかなー…」
「彼女は…いたりする?」
「いない…と思うけど」

見たことがないから、多分。と付け加えると、彼女達は、お互いを見合わせて笑った。

「甘いものって好き?どんなチョコレートがいいかな」
「それとも、チョコじゃなくて、もっと何か欲しいものとか、あるのかな」

そこまで分からなくて、ツナが答えに苦しんでいると、後ろから、呼ばれた。
名前ではなく、彼しか、この学校内では呼ばない、呼び方で。

「10代目!」
「うわ!獄寺君…っ」


ギャアと女子達が一気に色めき出した。皆、前髪を直したり、瞳を輝かせたりー分かりやすいものだ。
一斉に「聞いて!お願い!」と、ポーズを決め、無言で訴えられた。
仕方ないか…と覚悟を決め、ツナは一端落とした視線を、獄寺に向けた。

「えーと…獄寺君」
「はい?」
「甘いもの、ーチョコレートとか、好き?」

先日の質問に引き続き、今日の質問。もう期待するには十分であった。

「す、好きです!」
「どんなのがいい?」
「そ、そんなー…どんなのでも…っ」

貴方から貰えれば、何でも、とまで言いそうになってしまった。
少女達は、後ろから祈るようなポーズで、その会話を聞いている。

「好きな娘ってー…」
「ま、まってまって!!」

叫びのような、ストップが掛かった。そこまで、本人の口から聞くのは、どうやら恐いらしかった。
もう、いいから!ありがとう!とだけ言うと、彼女達はダッシュで走り去った。
女子特有の、華やかな、興奮気味の喋り声と共に。
そうして、そこで漸く、獄寺は理解したのだった。






期待しすぎた。叶うはずのないことだった。
とっぷりと暗くなった中、公園で一人、黄昏ていた。揺らすこともなく、ブランコに座る。

(−…当たり前か…)

14日、当日。女子達は群がって来たが、頭に浮かぶのはやはり一人で。
男なのだし、貰えるはずはないと思っているのに。
望んではいけないと、思っている。割っているはずなのに。
それに、あの女子達に頼まれ、好みを聞き出そうとしたのだ。自分が恋愛対象ではないことくらい、分かっている。

(分かってても好きなんだから、仕方ねぇ…)

盛大な溜め息を吐き、煙草を取り出そうとした、その時。

「獄寺君?」

ジャリ、という砂の音と共に、名前を呼ばれる。
ーこの声を、いつも望んでた。
見上げればやはり、ツナが居た。

「10代…目」
「何してんの?寒くない?」
「や、平気っス。10代目は何でー…」
「買い物、頼まれた」

ガサ、とスーパーの袋を、獄寺に見せた。
『どうしたんだろう』
ツナは、そう思った。
こんな所で、一人で、何をしているんだろうと思った。今日は、バレンタインデーなのに。
暗い面持ちの獄寺の隣のブランコに座り、ツナから口火を切った。

「獄寺君の周り、凄かったね。貰いたい子とか、いなかったの?」
「いなかったです」
「…そ、か…」

この暗い表情の訳は、だからなのか、と思った。

「でも、内気で、渡せなかった子も、いるんじゃないかな」
「−…そう、ですね」

獄寺とは正反対に、チョコレートを全く貰っていないツナが、獄寺を慰めるのも変な話だが、何か言葉を掛けたかった
そのくらいに、獄寺の顔が、沈んでいたように見えたからだ。
獄寺も、ツナが慰めてくれようとしているのは分かった。だから、否定の言葉は出さなかった。

「10代目は…いたんですか?貰いたい人が」
「え…あ、まぁ………ー…う、うん」
「……誰、スか」

聞いた時点で、答えは半分、分かっていた。
ツナを、見てきたから。そしてそれは、予想通りに返ってくる。

「きょ…京子、ちゃん…」

獄寺君、分かってて聞いてるだろ、と言わんばかりに、キュっと唇を結んで、獄寺を見た。
かあっと、効果音が聞えてきそう。ツナは照れて、顔を俯けた。
獄寺は、何も言えなかった。言うべき言葉が、見当たらなかった。

「…も、もう行くね。獄寺君、どうする?家、来る?」

あ、でもビアンキがいるか。と、思い出したように口にする。
まだ獄寺が座ったままのブランコの前に、ツナは立った。
すると、獄寺の頭が、腹の辺りに当たった。びっくりして、ツナが名前を呼ぶが、獄寺からの返事はない。

「…すいません。今だけ、ちょっと…」

酷く、掠れたような声だった。そんなに落ち込んでいたのかと、ツナは心配になった。
この暗い、公園の中に置き去りにしたら、彼は永遠に、闇の中に取り残されるんじゃないかとまで思った。
獄寺の頭に手を寄せ、優しく髪を撫でると、獄寺の手が、後ろにまわった。やんわりと、引き寄せられる。
獄寺は、自分の心を見せるのが、酷くヘタクソだと知ったのは、いつの頃からだっただろうか。
一見、分かりやすそうな感じに見えるのだが。
物凄く、へたっぴだ。へたっぴーというか、何かを、寸止めしているように見えた。
大抵のことは、感情として吐き出すが、内に溜め込んでいるように見える場合も多々ある。
そうして、そういう時は、ツナから気がつかないと、ずうっと溜め込んでいるまま、なのだ。

「…オレが女だったら、獄寺君にチョコ、渡したいと思うよ」

一定のリズムで、髪を梳きながら、静かな空間の中、口にしたツナの言葉。
これも、慰めの一環なのか、と、獄寺は思った。
しかし、そんな思いを見透かしたように、「慰めじゃなくて」と、ツナは付け加えた。

「貰いたいのは京子ちゃんだけど、あげたいって思うのは、ー…凄く、不思議だけど。獄寺君、なんだ」

友達としての、そういう愛を込めて。ツナはそう言っているんだろう。
だが、駄目だ。泣きそうになってしまった。切ない気もしたがー心は複雑で。しかし、嬉しかったのは、事実。

「…かえろっか」

髪を梳く手が、止まった。

12時5分。バレンタインデーはあっけなく、終了した。
手を繋いで、帰る。電灯も、そんなに頼りになる数がある訳でなく、辺りは暗闇に包まれている。
だから、獄寺が、どんな顔をしてその言葉を口にしたのかは分からない。

「欲しくてたまんなかったのって、10代目からのなんです」

ぽそ、と言われた。一番、暗いところで。
どういう返事をしたらいいのか、分からない。しかし、さっきから気になっている。
この、妙な胸の昂りを、無視している、自分に。
獄寺に触れた時、鳴った音を、気づかない振りをした。
「女だったら」と言った時、妙な違和感を覚えた。
まるで、嘘をついているような。
この胸の高鳴りと、この顔の火照りを、どうしてくれようか。

(うそ。そんな…、まさかー…いや、嘘だ…!)

5分、手遅れだった。あと10分くらい早ければ、コンビニに走って、チョコレートでも買ってきただろうに。
ああ、でももう、5分でも10分でも30分でも、何分遅れていたって構わない。
この気持ちが、それなのか、そうじゃないのか、−まだ良く分からないがー

「獄寺君。−…甘いもの、好き、なんだっけ」

何人もの少女達に、聞かれて、うんざりするほど、答えた質問達。
それを今度は、自分が彼に、口にする。
こんな事になるなんて、こんな事を自分の意思で自分が質問する羽目になろうとは、思ってもみなかった。
ツナはコンビニに走った。
息を切らし、日にちが変わって、値段も下がったチョコレートを片手に。

獄寺の前に、再び姿を現すのは、12時から10分後。










何とかバレンタインにアプでけた…



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