第三話
「悪い」 「・・・好きな人いるの?」 「や、好きだった人ならいるけど、」 「諦められてないってこと」 「−・・・いや、」 「じゃあなんで?」 「ー・・・やっぱ諦められてない」 部室裏の二人の会話を、聞いてしまった。 ツナはその場を動けずに、スニーカーのさきっぽに、濃い茶色が付着しているのを見ていた。 聞くつもりなんてなかったのだが、『好きな人がいるのか』と女子が問いただした時の山本の答えが、どうしても気になって、 駄目だった。動けなくなってしまった。 先日のカラオケで、山本は『諦めてる』と言った。もう、結婚してしまった女性のことだ。 けれど山本の言った言葉だけが真実ではないことを、ツナは知っていた。 山本は胸の内にあるものを、言葉にして全て吐き出す人間ではない。そんなこと、分かっていた。 ツナはきゅっと唇を結ぶと、部室に戻ろうとした。 野球部の面々に、山本を呼んでくるように頼まれていたのだ。 一歩、すっかりよごれたスニーカーを踏み出し、裏道を抜けようとすると、それより先に、何者かが駆け抜けていった。 どうやら、山本と話していた女子だったらしい。玉砕した彼女はショックだったのか、一度も振り返ることなく、 走り去っていった。 「え、ツナ?」 「あ、あー・・・山本・・・」 ぎくりとした。立ち聞きなんて趣味の悪いことをしてしまったのだから、山本にどんな顔を見せればいいのか分からない。 微妙な笑顔を作ってみせると、山本は何事も無かったかのように笑って見せた。 この笑顔に騙されるわけにはいかない。 山本は学生でありながらも、その内に、悲しみや怒りや、それらを隠し持っていても、 こういう笑顔を見せることのできるくらい、大人の男であった。 「ごめん。聞いちゃった・・・」 「別に構わねーけど。な、今日オレん家寄ってく?親父がツナ呼べってうるせーの」 「え、な、なんで?」 「寿司、凄い喜んで食ってくれるだろ?もとから物あげたり奢ったりするの好きだからさ、そういうの嬉しいらしい」 「そ、そうなんだ。それはオレも嬉しい」 ーやっぱ、諦められてない。 その言葉を引きずりながら、ツナは山本の家へと付いて行った。 ショックだった。山本の口から、直に聞くというのは、こんなにも強力なものなのかと思い知った。 ショックを受けている自分も、また、ショックで、ツナは二重に落ち込んでしまっていた。 山本の家に着けば、山本の父が元気良く、ツナに声を掛けていた。 他の客も居たが、威勢のいい声に、馴染みの客はクスクスと笑っている。 山本の家は、どこか安心する匂いがする。ツナはいつもそう思っていた。 それと同時に、好きな人間の家に来ているのだから、鼓動が早くなったりもしたが。 それでも、居心地のいい所には変わりは無かった。 「−・・・山本、最近寝てなくない?」 ゴロリとベッドに横になっている山本を、上から覗き込む。異常に早くなる鼓動が、ツナにはうざったくて仕方なかった。 所詮諦められないのかと、実感させられるのはもううんざりだった。 どんなスキンシップをしたって、どんな態度をしたって、ドクンドクンと胸を鳴らさないようにしたい。 慣れてしまえば、いいのだろうか。 山本への接触を恐がっているから、余計にいけないのかもしれなかった。 そう思って、山本の前髪に触れた。 「なんで・・・?」 「や、なんか疲れてるかなって」 「・・・ツナにはかなわねーのな・・・」 お見通しかー。ポツリと山本は言うと、静かに瞼を閉じて、ツナは額の辺りを撫でていた。 今、山本の瞼の奥に浮かんでいるのはあの女性なのだろうかと思うと、一気に心が冷え込んだ。 静かに喉を鳴らし、ツナが手を引っ込めようとすると、それを山本に阻止される。 「・・・ツナって気持ちいい」 「は、あ・・・?」 胸が鳴ったーかと思ったが、 仰向けになっている山本の瞳が、遠く、遠く、天井を突き抜けてどこかを見ていて、ツナは悲しくなった。 自分の手首を掴んでいるのは山本なのに、彼は誰を思っているんだろう。 諦められてないー。 ふと、あの言葉が頭の中で蘇った。 「・・・疲れてんの?」 「んー・・・ちょっと、な」 「そっか」 聞きたかった、理由を。けれど、ぐっと、喉の底で我慢して、声には出さずにただ、ゆっくりと頷いた。 やがて山本はムクリと起き上がり、ベッドを降りた。手は離されて、心底、ほっとした。 しかし、それも束の間。次の瞬間には、抱きしめられていた。 頭が真っ白になる。今、何が起こったのか分からずに体を硬直させていた。 山本のそれは、ふわりと優しく、ツナを包み込むだけの力だった。 「ツナのこと好き」 「あ、あー・・・、うん、そう、オレも」 期待するな期待するなと、ぐるぐると、バカみたいに繰り返す。 それを嘲笑うかのように、顔に全ての熱が集中する。 自分が発した言葉さえも、よく分からない。 「ツナと会えて、友達になれてほんと良かった」 ぱ、とすぐに体は離され、山本は笑顔を見せた。案の定な、友情的な意味。 それでもツナは、がっかりばかりしたわけじゃなかった。 友達として、とても嬉しい言葉だ。『ダメツナ』と呼ばれ続けてきたのに、大切で憧れている友人から、 こんな言葉をもらえたのだ。嬉しくないはずはない。 けれどやはり、複雑ではあった。 ふと、さっき、赤くなりすぎていたであろう頬を思い出して、ギクリとする。 やはりできないでいる。完全に、友達として見れないでいる。 『やっぱ諦められてない』 山本の言葉は、自分にこそ当てはまるものだった。 ほんの少しの高鳴りも、完全に打ち消す。それができない。むしろ、ひどくなっている。 諦めたと思っていた恋心は、奥の方でずっと、密やかに燃えていたのだ。 そうして今、また、燃え上がろうとしている。 鋼の心を持てないのならば、高い壁を作るしかない。 寿司をご馳走になって、さよならをする。送っていくという山本の言葉を拒んで、走り去る。 この日を境に、ツナは山本を避けるようになった。 |
山本の家の寿司が食いたいです。
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