第二話
『本気で好きだから、結構・・・かなり辛いー』 昔、中学の頃に相談された、恋愛相談。もっとも、自分に相談をしてくる男なんてたったの一人、山本武だけだった。 ツナは今でも、山本の悲痛な表情が焼きついていて、離れない。 彼は結婚している女性を、好きになってしまっていた。 今はどうかなんて聞けない。 山本にとって、授業が上の空というのは、恋をしていてもしていなくても同じなのかもしれないが、 うつろな瞳を見る度に、チクリと胸が痛み出したのはいつの頃からだったか。 『オレも報われない恋をしているんだ』 そんなこと、ツナは言わなかった。詳しく聞かれたら困るし、口に出すのが、悲しかった。 できるのならこのまま、砂の山のように、びゅうと風が吹いて、雨が降って、時が経って、 いつか何事もなかったかのように平べったく、膨らんでしまった部分を、無かったことにしてしまいたかった。 口に出して、無駄に実感したくなかった。 薄暗い密室に、4人と4人。女と男。 決して広い訳ではないが、鮨詰めという訳ではない。 ツナと山本。二人は今、野球部の仲間達と、その仲間の知り合いの女友達とで、カラオケに来ていた。 そんなに乗り気でなかったツナだが、折角誘ってくれたのに、場の空気を悪くしたくなかった。 女子は適当にタンバリンを叩いたりマラカスを振ったりしている。 山本の仲間が気持ち良さそうに歌っているのを、ツナは笑顔で聞いていた。 時折、山本の方に視線をやると、山本はすぐにそれに気がついてくれた。に、っと少し唇を上げて、笑みをこぼす。 中学の頃とは違った、大人っぽい笑みは、心臓に悪い。 ぱっと視線を逸らして、またすぐ、そうっと瞳に山本を映すと、山本は両脇に居る女子と楽しげに話していた。 楽しげと言っても、決してはしゃぎすぎている訳ではない。 二人共、携帯を取り出している。山本の番号やアドレスを聞いているようだった。 「ね、沢田君聞いてない」 山本の方ばかりを見ていて、自分の近くに居る人間をないがしろにしていたことに気がつく。 声のした方を向くと、セミロングの少女が座っていた。 少し不機嫌な声を出して、携帯をずいっと、目の前に差し出してきた。 「これ、番号とアド。沢田君のも教えてー」 「あ、ああ・・・うん」 慌てて携帯を取り出し、番号とアドレスを教える。 するとその少女はさっきまでの不機嫌が直ったのか、笑顔を見せた。 歌わないの、と、本をペラペラと捲って見せてくれるが、生憎歌いたい気分ではない。 もう一度、山本をチラリと見ると、あっちも歌を選んでいるようだった。 女子にリクエストされている。 (ー・・・山本、もう恋できてんの) 忘れられているのだろうか。それがツナは気になった。 あれをひきずって、未だに恋ができていなかったらあんまりだ。 けれど、山本に彼女ができたという報告を聞けば、それはそれで辛いだろう。 微妙についてしまった火を完璧に消す為に、ツナはこれから、必死になってもがいていかなければならないと思った。 やがてイントロが流れ、何の曲だったかーと顔を上げる。 山本が手にマイクを持っていたのを見て、ツナはつい、じいっと視線を送ってしまった。 山本はツナに気がつき、視線が合うと、ふわりと微笑み、画面に顔を向けた。 彼氏が居る人を好きになってしまって、その想いを伝えていいのかも分からなくて、まだ、 忘れられなくて、彼女以外の人を好きになれずにいる。 そんな歌詞だった。 曲が流れるにつれ、歌詞が山本に当てはまってしまって、ツナは山本から目が離せなかった。 一瞬でも切なそうな瞳が見えてしまったら、どうしたらいいだろうと、それを考えていた。 山本は画面を見ているだけで、特別な表情を出したりはしない。それが救いだった。 隣に居る少女達は、うっとりと聞いているだけだったが、ツナは中学の頃の恋を知っていたものだから、 うっとりとなどしていられなかった。 メロディーに乗せた歌詞を聴いて、更に大きく、胸が鳴った。目を逸らしたいと思う反面、見ていなければと思ってしまう。 瞬間、山本と目が合ってしまった。持っていかれる、鼓動ごとー。 逸らしたいのに、逸らせない、視線も全て、全て山本に持っていかれるのを感じる。 (オレは、諦めてたんじゃなかったのか・・・) こんな歌一つ聴いて、全てを奪われそうになる。自分は諦めきれていないということが、完璧に分かってしまった。 違う違うと、思いたい。自分に言い聞かせたい。 きっとまだ、間に合う。 ツナは隣の少女が小さく呼ぶのも無視して、カラオケルームを出た。胸の奥底で、激情が疼いているのが分かる。 このままでは、いけない方向に向かってしまいそうで、山本と同じ空間に居ることが、ただひたすら、恐かった。 壁に凭れかかり、そのままずるずるとしゃがみ込んでしまいそうになるが、何とか足で立っていた。 必死に、立っていた。 (誰のこと、想って歌ってたんだよ、山本) 山本は、奥底に秘めている熱を、外に出そうとはしない。見せない。 そこにどんなに熱いものが秘められているのか、分からない。全て、しまっておいているのだ。 「ツナー・・・?」 くしゃりと前髪を握りつぶしたと同時に、山本が自分を呼ぶ声が聞こえて、ばっと、振り返った。 歌の途中で抜け出してきたらしい。山本はいつもと同じように笑っていた。 ゆっくりとツナの側に近づいてきた。白い壁に、山本も凭れかかる。 隣に山本が存在していると思うだけで、さっき、瞳がぶつかったのを思い出すだけで、胸の奥が熱くなる。 これは出してはいけない熱だ。 「あ、トイレ・・・、行こうと思って」 「そ。具合悪くなったかと思った」 「ごめん・・・そんなんじゃないから、平気」 自分で、引きつった笑みだというのを知りながら、微笑むと、山本は静かに頷いた。 聞いていいのか分からない。きっと聞いてはいけない。けれどツナは、どうしても我慢できなかった。 うっかり滑って、聞いてしまったなんて、そんなことは許されない。掘り起こせばどれだけ彼を傷つけるか。 けれどツナは、どうしても聞いておきたかった。まだ癒えていない傷でも、一緒に塞いでいきたかった。 山本が辛い恋をしていたのを知っている人間がいると、なかったことになんかできないのだと、言いたかった。 問い詰められてもいい。 自分だって、絶対に叶わない恋をしていた。 山本だけじゃ、ないんだと、一人じゃないんだと、言ってやりたかった。 きっと一緒に、互いを癒していけると、言いたかった。 「山本、さっき、誰のこと、想って歌ってた・・・?」 「え?」 「まだ、好きでいるの?まだ、苦しいままー」 山本は一瞬、睫毛を伏せてゆっくりと瞬きをした。それから薄く微笑むと、漸くツナを見た。 瞳がぶつかって、ツナは心臓がおかしくなったかと思ったほど、激しく脈打ったのを感じた。 どれだけ捕まってしまっているのかを、知りたくなんてないのに、山本は容赦なく、自分にそれを知らしめてくる。 「・・・心配してくれてた?」 「う、ん・・・。だって、」 「ツナってほんといい奴」 オレだって報われない恋をしていた。しかもそれは、男でーなんて、そんな言葉。 ツナは呑み込んでしまった。 いい奴と言われて、その位置を失くすのが怖い。問い詰められ立って構わないと思っていたのに、 山本の一言でこんなにも揺さぶられる。臆病な自分を恥じてしまう。 「もう諦めてるから、平気。・・・でも、死ぬほど好きだった」 ー嘘なのかもしれない。 ツナは心の中で、そう思った。諦められているなんて、そんなのは、嘘なのかもしれないと。 けれど山本も忘れようと必死に違いない。ツナは「そっか」と一言、呟いただけだった。 言葉から感じる熱情と、瞳の奥にある、激情。それを、ツナは痛いくらいに感じていた。 山本の内なる熱が、少しだけ見えた瞬間だった。 部屋へと戻っていく山本の背中を、見つめている。熱っぽい瞳で。 山本のことを言えたものじゃない。 自分はこれっぽっちだって、潜んでいる熱を、出しはしないのだから。 それはこの位置を守るために、どうしても必要なことだった。 もうどんな炎も、完璧に消すしか道は無い。 |