「…和谷の事、気になるの?」
感情的な心を抑えつつ、穏やかに聞いてみた。
即答しない彼女に、俺は異常に緊張した。
電車が急に揺れ、ちゃんがバランスを崩す。
少し高めのヒールがガツっと音を立て、前の座席に倒れこみそうになった。
反射的に、ちゃんの方に手を伸ばすと、腕を引っ張り何とか持ちこたえられた。
「…す、いません…」
「…や、俺も」
パっと手を離す。
彼女にとってはどうって事ないかもしれないが、ちゃんに想いを寄せている俺にとっては、容易に触れてしまった事は、かなり重大であった。
強く掴みすぎなかっただろうか、手が汚れていなかっただろうか。などとあれこれ考えていると、ちゃんは吊革に手を伸ばした。
白い腕が、強調される。
「ちょっと頑張りすぎたかも。高いヒールって、やっぱり苦手」
アハハと笑いながらヒールを一回、鳴らしてみせた。
あまり慣れていない感じが良い、とか思ったが、それを言ったら一気に冷めた目で見られるだろう。オヤジくさい。
…頑張った、とちゃんは言った。
今日会う相手は頑張るような相手なんだろうか。
洒落込むような相手?
でもこういう場合、なんて聞けばいいんだろう。
ああ、彼氏と会うのかって聞けばいいのか。
「今日会うのって…彼氏?」
また、返答が怖い質問をしてしまったと思った。
しかしちゃんは大げさに首を振る。
手も両手でいっぱい振って、これでもかという程、否定していた。
その様子に、ホっとした。
「い、いませんよー!友達です。会うの、久しぶりなんです」
「そう。今日はいい天気だし、上野とか気持ち良さそうだね」
「この天気だったら…でも雨降るような予報してまし…あ!傘持ってくるの忘れた…」
切符といい、傘といい。
ちゃんがおっちょこちょいである事は確実だと思った。
一見、凄くしっかりしている娘に見えるのに、内面はそうでもないらしい。
そう。外見だけだと、凄く話しにくいような印象を受ける。
だから、切符を見つけた時、素直に、顔一杯の笑顔を浮かべて「ありがとう」を言われた時。
凄く、驚いたんだ。
その時の笑顔は、一生忘れないと思う。
「俺も持ってない…」
と言っても、ちゃんに会う為にこの電車に乗っているだけなので、目的地なんてない。
つまりちゃんが電車を降りた後、すぐに帰れば、傘など必要ないのだ。
だがちゃんは災難だ。予報を見ていたのに傘を忘れるなんて。
思わず笑ってしまった。
「うう…私、伊角さんには良くない場面ばっかり見られているような気が…」
「そ、そんな事ないよ。でも傘だって、ビニ傘。どこでも売ってるし、大丈夫だよ」
「ですよね。でも雨降るの知ってたのに、わざわざ傘買うの悔しい…。しかもここぞとばかりにビニ傘をやけに高い値段で売る所とかあると思いません?」
「分かる!俺もこの間、知ってたのに忘れて傘3回くらい買った」
「私10回!」
それは多すぎだ。
何故か傘の話から世間話に火が付き、そればかり語っていた。
気がつけば、「間もなく上野」のアナウンスが入る。
その頃になって、漸くなんて話題で時間を潰してしまったんだ、という事に気がついた。
「じゃあ、ありがとうございました。伊角さんも雨に濡れないように」
「うん、ちゃんも。気をつけてね」
ホームに降りても、手を振っている。
ブンブンと、両手一杯に振っている姿がとても可愛い。
そういう事しそうには見えないのに。
その内面と外見のギャップも、酷く俺を魅了した。
…ああ、そういえば答えを聞いてなかった。
彼氏が居ないのは分かったけど、片思いしてる相手とかはいるのかもしれない。
そうしてそれは、もしかしたら和谷かもしれない。
聞くのは恐いが、もう少し、問い詰めてみるべきだった。
なんて、別れた後に思う。
きっと、もう少し長くちゃんと話せたとしても、聞けない事は分かっていた。
|