いつもより闇が深いと感じる夜、もしも月が雲に隠れたら、外には出るな、と教えられた。
化物がくると。
微かに、頭に残る御伽話。小さい頃に聞かされたに違いない。
この街の住人ならば、皆、子供に言って聞かせるのだ。
夜には気をつけろ、と。
日が沈む前には、帰っていらっしゃい、と。








セレナード










「黒のマントに半分の仮面。その下に隠れている、人間とは思えない、顔…」

ツナはラズベリータルトを頬張りながら、本を読む。
御伽噺なのか、真実なのかは知らないが、この街には化物がいると、街の人々は信じていた。
信じていた、というより、目撃した人々が多かったからだ。

(最近、ぱったり噂も聞いていないけど)

いや、噂はあるのかも知れない。だが、この街に馴染めないツナは、人との交流が余りにも少なかった。
この街で会話をするのは、父親とーそれと、亡くなった母親の写真。
そしてもう一人。キョウコだった。
とても優しく、容姿も愛らしい彼女は、ツナの家に来ては、良く、話をしていた。
毎日毎日、彼女には薔薇の花束ばかりが届けられるというのに!
キョウコは「ダメツナ」呼ばわりされている自分と、会話をしてくれるのだ。

(可愛いよなー…キョウコちゃん。優しいし)

本を閉じ、食器を洗い始める。
欠けていたり、食器そのものの色が濁っていたり、もはや洗っても「綺麗」にはならないのだが。
しかし、食器は山のように積んである。
昨夜、父親が友人を呼んで、騒いでいた為だった。酒が少し残ったボトルが、あちこちに転がっている。

(−…どうしようか)

今月は大丈夫だと思っていたが、これではパンが買えるかどうかも危なくなってきた。
キョウコが持ってきてくれていた、ラズベリータルトは朝食にしていた。それも、もうあと数切れ程で無くなってしまう。
ガクリと肩を落とし、考え込んでいると、コンコン、と、木の扉が叩かれる。

「はい」
「ツナ君?」

キョウコの声だと分かると、直ぐに扉を開けた。と同時に、甘い匂いが広がった。

「アップルパイ焼いてきたの」
「え!い、いいの?」
「うん。昨日、おじいさまがいらっしゃって、林檎を沢山、くれたから」

マリイさんからの頂き物なんだって。
ニコニコと話すキョウコに、お茶を差し出す。綺麗とは言えない、ティーカップで。
マリイの林檎は、最高級だ。それで作ったアップルパイなら、さぞかし美味しいに違いない。しかも、キョウコが作ったのだ。
キョウコは家柄も良い。いわゆる「お嬢様」というやつだ。

「ね、ツナ君。噂、聞いた?」
「?化物?」
「ううん。西の大豪邸の、王子様」
「−…知らないけど…。西に大豪邸なんかあったっけ」
「あったみたいなの。凄い、いりくんだ森の中だけど」

化物のこともあってか、この街の人々は、あまり森の中へは行かない。
霧がかかっていて、薄気味悪いのだ。

「お父様が、ー…その人を探しているの。不思議なんだけど、その西の館。見つからないの」
「…?え?」
「お父様は、どうしても見つからないって。でも、簡単に行けた、って人もいるの」
「不思議、だね…。でも…なんで、探してるの?」
「私の婚約者にーって、思ってるみたい」
「こ、婚約者!!?」

目を見開き、大ショックを受けてしまった。
キョウコを我が物にーとまではいかないが、好意や憧れを寄せているのは事実だ。
キョウコが結婚してしまったら、とても寂しいのも、事実。
もうこの街で、会話を楽しめる人物が居なくなってしまう。
(因みに父親とは、今のところ楽しめる会話というものはしていない)
落ち込む心のまま、キョウコと世間話をしていると、いつの間にか日は落ちていた。

「ああ、大変。もう暗くなってる…」
「わ、本当だ…送ってくよ」

ありがと、と礼を述べる姿も愛らしい。
ランプを手に持ち、家を出ると、辺りはすっかり闇に染まっていた。
所々にある街灯が、それを和らげるが、薄気味悪いのに変わりは無い。

「…ねえ、ツナ君。化物の噂は聞いた?」
「う、ううん…」

恐がっているところを見せたくなくて、必死に平常心を装うが、キョウコの「化物」という単語だけで、ギクっとしてしまった。
さっき、本で読んだばかりだ。恐ろしい化物のことー。
黒いマントに半分の仮面ーその下に隠れている、人間とは思えない、顔…。
ツナはぶるりと、体を震わせた。
しかし、キョウコに情けない所ばかり見せられないと、一つ大きく息を吸い込むと、大丈夫だ、と自分に言い聞かせた。

「昨日、また見た人が居たんだって」
「…へ、へえ…」
「黒いマントに、半分の仮面ーだったって」

やはり読んだ本と、同じだ。
風が辺りの木々を揺らし、また鼓動が速くなってくる。

「でも、半分の顔は、凄く綺麗だったって聞いたの」
「そ、そうなんだ…。ー…あ、そうだ。ラズベリータルト。凄い美味しかった。いつもありがとう、キョウコちゃん」
「本当に?良かった!」

恐くなるので、それとなく話題を変えながら、キョウコを家まで送り届ける。
相変わらず大きな屋敷。ここらへんは、金に余裕のある貴族ばかりが集まっているものだから、
大きな屋敷ばかりが立ち並んでいた。
キョウコの家は割と近いので、すぐ着くのだが、帰りは一人になってしまうわけで。
やはりどんな近い距離でも、一人は恐い。
ビクビクしながら道を歩いていくと、時計台の鐘が鳴り響いた。
心臓が止まったかと思うほどに驚いて、空を見上げると、月がー隠れている。
嫌な汗が出てきた。

ゴーン、と、時計台の鐘が響いた。
それにすら驚いてしまい、ツナはまた、体を揺らした。
ただ7時の鐘が鳴っただけではないかーと、心を落ち着かせる。
7つの鐘が鳴り終わり、針が7時を少し過ぎた。
それと同時に、何処かの婦人が、キャー!!と、甲高く叫び声を上げた。

「化物よ!」

もう一度、化物よ!と繰り返され、ツナは焦って辺りを見回した。
しかし、誰も居ない。
ふと、空を見上げると、雲に隠れていた月が、丸く、世界を照らしていた。
ちょうどその丸の中に、一人。

(…え…?)

時計台の上に、誰かが立っていた。マントが、風に揺れている。
しかし、それを見たのは一瞬の事。
すぐに姿を消してしまった。

どうしよう、どうしよう!!この目で見てしまった!
と、頭がそれしか考えられなくなって、その場で立ち尽くしていた。
すると、数人の婦人と、小奇麗なドレスを纏った、おませな娘達。そしてそしてーとにかく野次馬が押し寄せた。

「まあ、貴方ー…あら、サワダの…ツナ!こんな時間に、何をやっているの」
「一人で、こんな時間まで、一体…」
「貴方、どうしたっていうの」
「オレはただ、キョウコちゃんを送って…」

その一言を口にした時、シイン、と辺りは静まり返った。−かと思ったら、今度はドっと、笑いが起こった。

「嘘をつくな、坊主。キョウコがお前と、いたっていうのか?」
「キョウコが、こんな時間まで、お前と」
「まあ、キョウコが好きだったの?」

話の展開に、ついて行けない。
キョウコが自分と仲が良い、という事は、確かにあまり大っぴらになっていないのだろう。
しかし、事実を言ったというのに、嘘吐き呼ばわりされるのは敵わない。

「でも」
「こんな時間に出歩くなんて!ツナ!あなたってまさか」

ツナが反論しようとした時、一人の娘が、大声を張り上げた。

「あなたって、騒ぎの原因なんじゃなくて?」
「は…?」
「だから、”化物”って、」

娘の言いかけた言葉が分かって、ツナは絶望的な気分に陥った。
ああ、どうして自分ばかりこんな目にあうのだか分からない。

「違います!」
「そりゃ、そうですって言う方なんていないに決まっているわ!」

ツンとして、そっぽを向く娘と、これ以上やりあっていたくなかった。
ツナは背を向けて、走り出す。
明日の街の噂は聞かなくても分かる。
「ダメツナは化物だった」と。

走って走って、体力が尽きて止まった場所は、噴水のある広場だった。
立派な広場で、ベンチにはそれぞれ、屋根がついているし、豪華な像もいくつか並んでいる。
ベンチに腰掛けると、どっと疲れが出た。
父親は帰らない。帰っても、酒と女と騒いではまた出て行く。
ツナがいくら、手を真っ赤にして一日中、皿と野菜を洗ったところで、得た金はあっという間に消えていく。
満足に食事も出来ない、その上、今日は化物呼ばわりだ。ダメツナの方が、まだ良かった。





「もう今日は最悪だ…」
「なにが?」

ひとりごとを言っていただけだったのに、空から、返事が返ってきた。
びくっとして上を見るが、勿論、屋根しか見えない。

(屋根の上に、誰か、居る…?)

ー怖いー。
ついさっき化物を見たばかりなのだ。
ツナはド、ド、と鼓動を早くしつつも、何とか落ち着いて、口を開いた。

「…誰?」
「お前は誰?」
「…つ、ツナ…」

恐る恐る聞いたら、逆に聞き返されてしまった。戸惑ったが、とりあえず名前を言う。
すると、相手は少し笑ったようだった。
美しい声の持ち主だ。澄んでいて、曇りがなく、女性ならばその声だけで、うっとりとしそうな。

「…貴方は?」
「ツナが呼びたいように呼んでいいぜ」
「そ、そうじゃなくて…」

そこで、一端、話は止まった。
名前を明かすのに、迷っているようだった。名前を教えるのが、嫌、なのだろうか。
もしかして危ない人なのだろうかと、ギクリと心を揺らした時、相手は口を開いた。

「−…ディーノ」
「ディーノ、さん?」
「ん。なあ、何が最悪だったんだ?」
「ー……ディーノさん、化物の噂、知ってる?」
「知ってるさ。見たら忘れられない、人間じゃない、恐ろしい顔ーだろ?」
「…化物、オレだって」
「はは。まさか」
「こんな夜遅くに出歩いたから」
「なんだよそれ。皆、なんだかんだで出歩いてんじゃねーか」

お前が悪いこと、ねーだろ。
と、たった一言、言われただけだった。
しかし、ツナにとっては、嬉しくて堪らない一言だった。
キョウコ以外に、励ましてくれる人もいなければ、まともに話してくれる人もいなかったのだ。
一方、ディーノは。特に励ますことを考えた訳ではなく、ただただ、思った事を言ったまでだった。
しかし、ツナは嬉しかった。

「ディーノさん、オレのこと、知らない?」
「そりゃ…、初めて会ったから」
「ダメツナって、結構有名なんだけど」
「そうなのか。おもしれー」
「…面白くないですよ」
「そうか?オレは面白かったんだけど。なあ、ツナはこの近く?住んでるのって」
「ええと…モルス通りの方ー…」
「マジで?あそこって、豪邸ばっかだろ。金持ちなんだ?」
「全然!確かにあそこはお屋敷ばっかりだけど…そこを少し離れれば、ボロ家ばっかで」
「へえ。ツナはボロ家なんだ」
「ボロ家です」

言いにくい事を、ズバズバ言ってくれる人だ、とツナは思った。
だが、不思議だ。この人と話すのは、心地が良い。

「ま、今日は災難だったな」
「…や、でも…」
「ん?」
「ディーノさんと会えて、話せたから、ちょっと…良かった」

言った後で、恥ずかしくてどうしようもなくなった。
ああ、彼が引いてないことを祈る。

「うわ、すげー嬉しいこと言ってくれるな」
「嬉しい…?」
「オレ今、寂しくて死にそうだったから。嬉しい」
「…何でですか?」

聞いていいのか、分からなかったが、ついつい、口から出てしまった。
ディーノが夜空を見上げた時、ツナもまた、屋根を見上げていた。
そろそろ、降りてきてくれないだろうか、と願いながら。

「花嫁に逃げられてな」
「……す、すみません」

聞いていいことじゃなかった、と、今更ながら後悔する。
これだから、ダメツナと言われるのだ。
しょんぼりとしていると、その様子が伝わったらしく、ディーノが笑い出した。

「いいんだって。どうでもいい花嫁だったから」
「ええ?」
「ただ、逃げられた、ってのがな…ショック」

声のトーンが落ちたディーノに、ツナは敏感に気がついた。
何を言おうか迷っていると、ディーノが先に、声を掛けた。

「慰めてくれる?ツナ」
「え…、あ、もちろん…」

自分も、ディーノと話したことで、かなり救われた。
しかし、ディーノを慰めるには、どうしたらいいのだろう。
少し、首を傾げながらディーノの言葉を待つ。

「抱きしめてくれる?ー…本当は女の子オンリーだけど、ツナは可愛いこと言ってくれるから、」
「だ、…?」

ツナがどもった様子を感じて、ディーノはまた、吹き出す。
彼のこういう反応が見たくて、冗談で言ったのだ。だが、次の瞬間のツナの反応は、予想外だった。

「降りてきて、くれないと…ディーノさんに触れない」

抱擁なんて、そんな事で、いいんですか。と言わんばかりだった。
おいおい、野郎を相手に、そういう事を言うか、と、ディーノは思った。
ツナがどんな表情をしているのか見たくて、ついつい、屋根の下に顔を出しそうになる。
ーああでも、この少年に、抱きしめて癒してもらうのも悪くは無い。
そういう趣向は、なかったはずなんだが。

「本当に?恐がんない?」
「ー…?は?」
「ー…逃げない?」
「……?ディーノ、さん?」






長い…!
大好きな映画達を元にさせていただきました。



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