カタンーと、屋根から音がした。 降りてくるのかーと思ったら、時計台の鐘が、けたたましく鳴り出した。 もう8時になる。 「−あー…、そろそろ行くかな。ツナも帰り、気をつけろよ。化物の”餌食”にならないように」 「う…、」 「こわい?」 見えた訳ではないが、ニヤリ、と、ディーノが口許を上げたような気がした。 ポツリと、「ぜんぜん」と答えるツナの心を見透かされたように、ディーノは笑った。 「じゃあな」 「え、待ってディーノさんー…っ」 引きとめようとした頃、もうディーノの声は聞えなかった。 ベンチを降り、少し離れたところから屋根の上を見上げが、そこには誰も居なかった。 まるで、一瞬にして、消えてしまったようだった。 (ーまた会えるかどうか、聞きたかった…) ツナは心の中で、後悔した。 もっと、色々、聞けば良かったー住んでいる所なんか、何も聞かなかったじゃないかー、と。 また会えることを祈って、ツナは広場を出た。 ディーノと話せた事で、それで頭が一杯になってしまって。 街の人々に、「化物」呼ばわりされた事など忘れていた。 だから呑気に、母へ捧げる一輪の花を買いに、モルス通りの大通りを通ってしまったのだ。 キョウコの家を含む、豪邸が並ぶその住宅街は、迫力があった。 昨日、夜中に出くわして、言いたい放題言ってくれた貴族様達は、ほとんどこの通りに住んでいる。 (ああ、なんでこっちに来ちゃったんだろう…) 誰かに会ったらーとりわけ、モチダの所の妹君は相当、口が悪い。 昨日、まず一番に化物呼ばわりしたのはこの姫君である。 お上品な言葉を吐きながら、毒をそこら中に飛ばすのだ。兄は無口だが、兄の方も恐いと、ツナは思っていた。 何を考えているのか良く分からない点がある。 考えるのはよそう、と、ツナは思い、母に何の花を買うかを考えることにした。 薔薇なんて高価すぎて、話にならない。 母は薔薇が大好きだったので、一度は写真の前に、大量に飾ってやりたいが。 そんな事を思って、忘れていたのに。出くわしてしまったー…おませなお姫様達。 しかしその中には、キョウコの姿もあって、ほんの少しホっとした。 「ツナ君!」 「−…あら、来たわよ。此処は化物が通る道じゃないのだけれど」 言ったのは、モチダの妹君、ルリだった。 クスクスと他の女達も、笑い出す。案の定、昨日の事は既に噂になっているようだった。 キョウコに軽く挨拶をして、通りすぎようかと思ったのだが、キョウコの手の中に、艶やかな薔薇の花束があったものだから、 つい立ち止まってしまった。 「キョウコちゃん、それ…」 「…あ、あのね。2番地の、ユキヤさんに頂いたの」 「綺麗だね。オレも今から、花を買いに行くところなんだ」 「…あの、ツナ君。噂なんて、気にすることないよ。私を送ってくれただけだって、皆に言ってるんだけど…」 ごめんなさい、と、キョウコが肩を丸めて、謝った。 それを見て、どうしようもない気持ちになった。キョウコが悪いわけではないのに! 焦ったツナは、勢い良く首を横に振る。 「ちが、…っキョウコちゃんは何にも、悪くない」 「でも…」 「キョウコ、ユキヤに何てお返事を?薔薇の花束なんて、見飽きたって言っておやりなさいよ」 「そうよ、それがいいわ」 キョウコは一日に、いくつもの薔薇の花束を貰うのだから、ねえ。 と、娘達が口々にキョウコを羨む。 「私も、頂いたのよ。最高級のローテローゼ。 素晴らしく鮮やかな赤で、あんな色、世界に二つとしてないわ! まあ、ツナ。そんな悲しい顔をしないで。分かっているのよ、私達。貴方は縁のない話ですものね」 「貴方があの薔薇を手にしようとしたら、破産してしまうもの!」と、勝ち誇ったように言う。 まあ私は、愛の証に、3番地のカズヤ様から頂いたのだけどーと、キョウコに張り合うように、ルリは更に声を張り上げた。 キョウコは「そう、素晴らしいのね」とだけ口にすると、すぐにツナへ向き合った。 「ね、ツナ君…、街の人達に何か言われるかもしれないもの。私も、花屋まで一緒に行くわ」 「だ、大丈夫だから!本当に…。ありがとう、キョウコちゃん」 「なんてこと!誘いを断るなんて、紳士のすることじゃないわ。そうでしょう?」 そうよそうよ、と、娘達はリーダー格であるルリの言いなりだ。 キョウコに気を遣わせてはならない、という思いも本当だが、こうなることも予想できていた。 だから断ったのだ。 ールリはきっと、面白がって、自分も一緒に来るというだろう。 そして案の定。 「ねえ、私達も一緒に行ってさしあげましょうよ」 そらきたー…、その言葉を聞いて、ツナはうんざりと溜め息を吐いた。 だがここで断ればまた、明日には、あることないこと、また自分に関する噂が、街中を駆け巡るのだろう。 ツナは曇った表情のまま、「ありがとう」と呟いた。 花屋で一番安い、白い小さい花を一輪買った。ルリには物凄く馬鹿にされたが、もう気にしないことにした。 そのまま家へ帰る途中も、キョウコと楽しく会話を楽しむことはできなかった。 ルリを筆頭とする娘達が、ことごとく、会話に割って入っては、ツナを小馬鹿にしたような口調でからかったからだ。 やっとツナの家が見えた時、ツナは安堵の息を漏らした。 やっとこの時間から、抜けられるのだとー…。 玄関の家まで来ると、ルリがある物に気がついた。 「…これ…」 壊れそうな木の扉の前に置いてあったのは、赤い薔薇の花束。 深みのある赤は、素人目にも分かるほど、一級品のものだった。 50本程、あるだろうか。ツナは呆然と、花束を見る。 (なんなんだ…これ…) しゃがみこみ、花束を手に取ると、一枚のメッセージカードがひらり、と落ちた。 『昨夜は迷惑をかけてしまって、申し訳ない。 どうやら私は、君の素敵な夜を台無しにしてしまったようだ。 許して欲しい。 この花束は、君に捧げよう』 意味が分からなかった。 首を傾げていると、ルリが物凄い剣幕で、強引に、カードを奪った。 しかしカードを見た後、フっと口許を緩め、いやらしい顔つきでツナを笑った。 「意味がわからないわ。何かの間違いかしら?ツナがこんなに立派な花束を、貰う理由がないもの」 大体ー不釣合いなことと言ったらないわー、と、面白く無さそうに、棘のある言葉をツナに向ける。 まあ確かに、その通りだと、ツナは思った。 ルリの言い方は、ムっとくるものがあったが、自分でも納得してしまう。 こんな豪華な花束を貰うだけの人間でもなければ、「迷惑」もかけられていないと思う。 首を傾げていると、今度は花束を、ルリが強引に奪った。 「わ…っ」 「ひどいわ、ルリ!やりすぎよ。ツナ君の家の前に置いてあった花束なのよ!」 「あら、私にこそ相応しいと思わない?」 もう既に、自分のものだと言わんばかりに、薔薇を抱くルリは、その美しさにうっとりとしている。 「ルリ、いい加減にしろ」 自分に逆らおうとするのは誰だ、と、酷い眼つきで後ろを振り返る。 だが、そこに居たのは、ルリの兄だった。 体は上等な服に身を包まれ、頭は清潔感のある、細く美しい黒い髪。 街の人々の信頼も厚く、ルリも兄にだけは逆らえなかった。 「…!お兄様」 ハっと目を見開いて、花束を背後に隠そうとするが、モチダは呆れたように溜め息を吐くと、それを軽々と奪い取った。 そして奪った花束を、ポイとツナに投げる。突然花束が返って来て、ツナはワタワタと、慌てて受け取った。 ルリは悔しそうに、花束を見つめる。兄に逆らうわけにはいかないのだ。 「家にカズヤが来ている。いつまでも待たせておくのは、しとやかなレディーのすることじゃない」 フイっとそっぽを向くと、ブロンドを揺らして、ズンズンと歩き出した。 ルリの取り巻き達も、彼女の後を追って、ツナの側から去っていく。 「ー…サワダ、あまり夜遅くに出歩くな。皆の楽しみの標的になるぞ」 「は、はい…」 「モチダさん、ツナ君が悪いわけじゃ…」 「わかっている。だが、貴族でないものが、夜出歩くというのは、そういうことだ」 「ー…」 もっとも、だった。 彼等のように、身分の高い者が夜に出歩いたとしても、疑われはしないが、 自分のように、身分もどん底で、その上評判もよろしくない者が、夜遅くにーしかも化物が出た夜に、丁度居たとなれば。 (そりゃ、そうだよな…) モチダなりの忠告だ、と思った。 彼は恐いが、やはり普通の貴族達とは違う、とツナは感じた。 くだらない噂を鵜呑みにしない、賢さを持っている男だと、そう思った。 「キョウコ、これから家に来ないか?お茶でも」 「え、ええ…」 モチダもキョウコを好いている、という事は分かっていた。 容姿は良く、家柄も良く、何毎もこなすのに、ストイック。 そんな彼は、街娘の評判もすこぶる良かった。しかし、彼はキョウコしか、お茶や食事に誘わない。 キョウコはツナを気にしつつ、モチダの家へと足を向けた。 一人ぼっちになったツナは、優しく薔薇の花束を抱きしめる。 (−…誰ー?オレじゃないなら、父さん宛かな…) こんな見事な薔薇の花束を、見たことも、貰ったこともない。 どのくらいの値段がするのだろうー…これで、どのくらいのパンが買えるのだろう…と、そんな事が頭を過ぎったが、 慌ててその考えを消す。 |
お疲れさまです!!
モチダが出てきました。レディーとか言いだしましたこの人。(ギャグではないです)
モチダは男前クールキャラです。<ギャグではないです(まだ言うか…!)