カードのメッセージの意味も、自分宛なのかも分からないが、これで母の写真の前に、薔薇が飾れるのだ。
しかもこんなに大量で、品質の良い、薔薇の花を!

(でも、父さん宛だったら、それを許してくれるかな)

許すわけがないー
不安が胸を過ぎったが、とりあえず、花束を母親の写真の前に置いておいた。
父の許可が降りたら、飾ろうと思った。降りなくとも、一時だけでも、見せてやりたかった。







翌日、花束はもうツナの家から消えていた。父親が持っていってしまったからだ。
カードを見せても首を傾げ、つまらない物を見せるなという態度だったが、薔薇の花束には反応があった。
こんな上級品を、女にやったら喜ぶに違いない!と、父親は容赦なく、母親の写真の前から花束を奪った。
帰って来たと思ったら、花束を奪って、また去ったのだ。
なんてことだ…と、ツナは、悲しそうに写真の中の母に瞳を向ける。
母は笑っていた。
いつか100本もの薔薇の花束を母に捧げようと夢を抱きながら、家を出た。
今日は煙突掃除の仕事だった。


仕事が終わると、灰をかぶった身体で街を歩く。もう慣れっこだった。
今日はモルス通りの大きな道を避けようと思い、どこの道を通るか、考えていた。
その前に、パン屋に寄っていく。自分にしては珍しく、チップを貰えたのだ。
館の主人は白髪に、長い白い顎鬚を下げた老人だった。
真っ黒な身体と、細すぎる腕、そして、怒鳴られながらせかせか動くツナに同情したのか、それとも頑張っているコだと思ったのかー、とても優しい瞳を向けて、ツナにコインを2枚、握らせてくれたのだ。
今日から夕飯は、ほとんど味のしない、まるで湯の中に数切れ、野菜が浮いているだけのスープになるかもしれないと思っていたのだが(なんとキョウコが持ってきたパイは、薔薇のついでだと、父親が女の土産にしてしまった)
これなら今日は、バケットを買える。
パン屋でバケットを一つ、そしてバターサンドを一つだけ買うと、店を出る。
バターサンドを一口、頬張っていると、急に食欲が落ちた。
ルリ達ご一行を見かけたからだ。
昨日の今日で、また・・・。出くわしたくない面々に背を向けようとしたが、それを彼女が許さなかった。
ルリはツナを見つけると、すぐに面白そうに呼び止めた。

「あら、素っ気無いこと。こちらへいらっしゃいよ」

後で何を言われるか分かったものじゃない。渋々、ルリ達の方へ歩き出す。

「今日は灰をかぶっているのね!どうりで埃っぽいはずだわ。ところで、ー…昨日の花束は、どなた宛だったの?」
「父親宛ーでもないみたいですけど、オレも分からなくて」
「まあ、残念!私達、そのことで今、お話していたのよ!貴方のお父様宛じゃないかしらって!」
「なんで…」
「女の方に、詳しいのでしょう?お父様は。だから、そう思っていたのよ!ー…ああ、こんな下品なことは口にしたくないのだけれどー…貴方のお父様が買った、たくさんの娼婦の方からなんじゃないかって!」
「!!」

あまりの言い草に、ツナは耳を疑った。何も言えずに、唇をぎゅっと閉じる。
自分が気に入らないからと言って、その肉親までも、こんな風に容赦なく言うものなのか。
確かに、父は女癖が悪いとは思うが、しかし、それを他人の口から易々と言われるのは、どうしても辛かった。
だが、彼女達は、「じゃあ50人もの娼婦がいたことになるのね!」なんて、推測だけでいやらしく笑い声を上げている。

「……何ということだ。口を慎め」

彼女達の笑い声をピタリと止めたのは、また、彼だった。
モチダは彼女達を一瞥して、嘆かわしい視線を送ると、ルリの前から、ツナを奪った。
少し歩くと、いつの間にかモルス通りの大きな道に出ていた。
モチダは何も話さない。
段々と、歩く速度が遅くなってきて、ついに、その足が止まった。
少し後ろを歩くツナの方を振り返り、ポツリと呟いた。

「何故、何も言い返さない?女達に言われるままになっていて、情けなくないのか」

もっと男らしく、あの煩く鳴く者達を、黙らせてみろと、モチダはツナに鋭い眼光を向ける。
そして、こう言った。
キョウコ以外にも、話相手を作れーと。

「キョウコは我が嫁に、と思っている」
「……そ、ですか」
「しかし、お前の”救い”を奪うつもりはない。婚約しても、キョウコを束縛したりはしない。自由に会えばいい」
「−…っ!!」

ツナの胸はえぐられるようだった。
惨めだった。モチダにこんな事を言われて。

「お前はとにかく、言われるままになっているのはやめろ」
「何か言えば、明日の噂は決定してしまいます」
「気にすることはない。−…どうしてお前はそう、弱すぎるんだ。」

なんて軽々しく、口にしてくれるのだろう、と思った。
彼の強さも、賢さも否定はしない。寧ろ自分は、首を大きく縦に振って、頷くだろう。
しかし、−しかし。
モチダは余りにも、ツナの深い悲しみも、傷も、分かっていなかった。
そしてまた、噂の恐さも、分かっていなかった。

「以前の噂はキョウコちゃんを巻き込んで、そして今日は父さんだ」
「………」
「明日もし、母の噂が流れるようなら、オレはどうしたらいいのかわからない…っ」

泣いてしまいそうだ。涙をモチダに、見られてしまいそうだ!
それだけは何とか避けたい。
ツナは駆け出すと、一回もモチダを振り返りはしなかった。
『キョウコ以外にも、話相手を作れ』
モチダの言葉が、頭に響く。
そしてその後、頭に響いた声はー
『慰めてくれる?ツナ』

ー噴水の広場の、空から美しく響く声。
「ディーノ」と名乗ったー。
彼に、会いたい。













とっぷりと染まった、暗闇の世界。また、噴水の広場に来ていた。
ディーノに会いたい、その一心で。

(居るわけない、よな…)

広場を、ゆっくりと歩き、この間座ったベンチの屋根の上を見てみるが、誰も居ない。
それでも諦められなくて、ベンチに座った。
夜の冷たさは、容赦なくツナの身体を凍えさせたが、一晩中でも待っていたかった。

「ディーノさん…」
「ん?まーた元気ないのな、ツナは」
「!っ、う、わ!ディーノ、さん?」

心臓が飛び上がった。その声はまさに、ツナが望んだ、彼の声だった。
ガタガタとベンチから飛び上がった様を、ディーノはまるで見えているかのように、クスクスと笑い出した。

「わり、驚いたか?今日はまた、一段とシャレてる格好だな」
「う……」

灰で真っ黒になっている自分の身体を見回す。
灰達はボロボロの服にひっつき、それを更に汚く見せていた。
ツナは、軽く服を叩くが、あまり大差ない。

「今日は煙突を掃除してたんです」
「へえ。ツナは色々働いてるんだなー」

エライな、と言われた時、頭を撫でられたような錯覚に陥った。
どうしてこの人の声は、ここまで美しく、ここまで自分を落ち着かせるのだろう。
ツナは不思議だった。まだ、会って間もないのにー。
それから色々な事を話した。
ルリ達のこと、父親のこと、母親のこと、そしてあの奇妙な、薔薇の花束のことー

「それにしたって、嫌な女がいるんだな。オレの花嫁達も、そいつには負ける」
「…達…?」
「ああ、いや、間違えた。花嫁、な。」
「嫌なひと、だったんですか?」
「まあな。オレに見る目がなかった、とも言う。ああ、それか、女が仮面を被ってた、とでも言おうか」
「……?」
「でもツナの言う、その女には負ける」
「ー…自分を相手の心に刻み込もうと、必死で。自分を見て、欲しいんだと…」

口汚い中傷も、言うけれど。と、ツナは困ったように笑った。
彼女のことは、正直、好きだなんてとても言えないが、それでも、恨みでもって全てを支配してしまうのは、嫌だった。

「…優しいな、ツナは」

ああ、まただ。また、頭を撫でられたような気になってくる。
ディーノと話していると、安心して、悲しみの涙に溺れていた心が、いつの間にか穏やかに、満ち足りてくるようだった。
それをディーノに伝えると、ディーノは嬉しそうに、笑ったようだった。

「オレも。−……な、ツナ。また、此処に来て」
「此処に来れば、会えるんですか?」
「そうだな…。暗くなったら」

不思議に思ったが、ツナはYESと答えた。ディーノだって、仕事が忙しいに違いない。
夜だろうが何だろうが、ディーノと話せるなら!と、そう思った。

「ーディーノさん、ディーノさん。オレ、ディーノさんと話せるなら、夜でも何でも、構わない」
「…サンキュ。嬉しい」
「−…降りて来て、くれないんですか?」
「…ツナ、オレはどうして花嫁に逃げられたと思う?」
「…ディーノさんは素晴らしいと思うし、だからー…わからない」
「醜いから」
「………そんな」

ああ、この人がこんなにーこんなにも、素晴らしく心地よく会話ができるのは、
この人がこんなにも、優しい声を出せるのは、人々に傷つけられた事があるからに違いない。
孤独な思いを、した事があるからに違いない。
ディーノの悲しみが、屋根の上から降ってきているような気がして、堪らなかった。
彼が素晴らしい人であることは、自分が良く知っている。

「ディーノさんは素晴らしい人だよ」
「…はは。花嫁達にも、言われた」

「ああ!貴方はなんて、素晴らしい人なの!」と。
けれどそれは、一時のものだった。すぐに女達は、態度をコロリと変えたのだ。
それを伝えると、ツナは酷く、悲しそうな顔をした。

「ディーノさん…、ディーノさん、一時のことじゃない。
ーまだ少ししか時間を一緒にしてないのにって思うかもしれないけれど、オレは凄く、ディーノさんを大切に思ってるのに」

顔を見ていても、その思いの方が遥かに大きいと言えるほど、大切で、素晴らしいと思っていること。
それを、懸命にディーノに伝えた。

「−……ツナ」

この少年は、何という言葉と、そして感情を唇に乗せるのか。
どうして、自分の悲しみに濡れた心を、こうまでして、温かくさせるのか。
人など信じまいと、閉ざしていたはずだったのに、彼と会話していく内に、例外が出来てしまった。

(ツナ、ツナ…)

なんということだろう。
傷ばかりが残る自分の心は、小さな一人の少年に、癒されてしまったのだ。
もっと近くで、ツナを感じたい。もしも彼が、本気で愛してくれたら。
その瞳で、自分を見つめてくれたら、そしてそれが、自分の姿に嫌悪を表し、恐怖に震えるものでなく、
うっとりと、愛に満ちた眼差しなら、どんなに幸せかー…
その時こそ、きっと心の闇はすっかりと取り除かれるのだ。
ディーノは冷たい屋根の板に、手の甲をぐっと押し付けると、身を屈めた。






ツナの方はまだ恋とか愛とかは全然みたい…。




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