「…ツナ、すげー嬉しい」
「ディーノさんー…」
「ごめんな。でも、今日はー…」

彼がもしも、何を見ても大丈夫だと誓ってくれるなら、−そういう確信があるのなら、
喜んで姿を現すが。しかし…
きっとこの少年ならば、自分の姿を見せても、絶望したりはしないような気がする。
けれどまだ、恐ろしい。姿を現す勇気が持てない。

「オレこそ、ごめんなさい…。ディーノさんと話せるなら、構わない」

本当にー、可愛いことを言ってくれる。
本当は、もっと近くでー自分の瞳にツナを映したい。彼の姿を焼き付けてから、この場を去りたい。
だが。
もはや愛しくてならない少年に、おやすみの挨拶をすると、ディーノは、暗闇の中に消えていった。















翌日、ツナはピアノを弾いていた。
古く、今にも壊れそうな家に、母のピアノだけが、浮いていた。
何度か父が売ろうとしたが、どうやら売れるほどの物ではないらしく、父が不機嫌な顔付きのまま、
質屋から家に戻ってきたのを覚えている。
自分で美しいメロディーを奏でることは、辛い日々の中での喜びであった。
だから、仕事が休みの今日は、その幸せな時間を味わっていたのだ。
ルリが、ズンズンとレディーらしからぬ歩き方で、ツナの家に向かっているともしらずに。

ルリはツナの家の付近まで来ると、ピアノの音色に気がついた。
あの、「ダメツナ」が!ピアノを弾いているなんて!おかしくなり、からかってやろうと思った。
もうルリには、ツナが憎い対象でしかなかった。
彼のせいで、兄に何度、怒られたことか。と、逆恨みをしていた。
ツナの家に近づくにつれ、音色は段々とハッキリ聞えてくる。
ルリはピアノの腕は、自信があった。モルス通りの貴族の中で、一番上手いと言ってもいい。
耳を澄ますと、もう、はっきりと聞えてきた。
ツナの奏でる、ピアノの繊細な音色が。
ああ、これはショパンのノクターン…、さほど難しくない曲だが、だがー…
なんと優雅で、繊細で、甘く優しい音色なのか。
ルリは唇を噛み締めた。
彼のそれは、上手い、下手、ではない。ただただ、人を魅了する音だった。
何とかこの音を止めさせたくて、ルリは扉をドンドン、とはしたなく叩いた。
すると、自分が何かを踏みつけているのに気がついた。

また、薔薇の花束だった。
この間と同じ、見事な色に、数はこの間の倍ー100本ほどあった。
また、カードが付いている。ルリは面白くない気持ちで、それに目を通す。

『親愛なる君のお母様へ』

それだけ、だった。
バサっと花束を投げつけると、ツナがやっと扉を開けた。

「な…なんですか?」
「あなた、どういうつもり!貴族でもないのに、ピアノなんて!それにこの、花束ー!」
「−…え…?」

花束の存在に気がつかなかったツナは、ルリが忌々しげに視線を向けている花束を拾い上げた。
カードの言葉を見ると、ツナは急いで母の写真の前に、花束を置いた。
これは、これこそ母へ贈ることのできる花束だ!しかも、昨日の倍もある、薔薇の花束ー…
母に微笑みかけているツナは、もはやルリの事など忘れているようであった。

「なんて無礼なの!」

自分の存在を無視され、ルリはカンカンになって、ツナの家にズカズカと入り込んだ。
辺りを見渡すと、今にも崩壊しそうな壁や、汚い食器類が目に入ってきて、ルリは口許を上げた。
そして「貴族」の自分は、こんなに汚いものを、見たことがない!とでも言うように、わざとらしく瞳を伏せた。

「すいません…。何か用だったんですか」
「…そう、そうよ。貴方のお父様を、仮面舞踏会にご招待したのよ」
「…?父を?何故…」
「ピアノが出来て、麗しい恋人をお持ちだと、聞いたもの。ぜひ、お知り合いになりたいわ」

ニヤリと何かを見透かしているようなルリの笑み。
ルリは知っていた。ツナの父親に、そんな恋人がいる訳がない、ということを。
ツナはまるで知らなかった。父親がまた何処かで、そんな恋人を作ったのか、と思っていた。

「今夜は特別なワインも開けておくわ。必ず、お父様に来るようにと」

そう言い残し、ツン、とそっぽを向くと、ルリは気取った足取りで、ツナの家を出た。
ツナは母の写真の前に置かれた花束を見ながら、嬉しそうに微笑んでいた。

「母さん、誰だろう。母さん宛に、花束が届いたんだ」

誰が贈ってくれたものかわからないけれどー感謝しなくては。
母もきっと、喜んでいるのだろう。母に宛てられた、花束。
それもこんなに豪勢な、母の好きな薔薇の花束。
ツナは嬉しかった。
きっと、母も天国で喜んでいるに違いないと、母はきっと笑顔を浮かべているだろうと思うと、心が温かくなった。




夕暮れで、窓から橙が入ってくる。そろそろ夕飯の支度をしなくてはーとツナが立ち上がった時だった。
壊れそうな扉が開かれ、入ってきたのは父であった。
酒を飲んでいるらしく、目が少しぼんやりしている。

「おい、ツナ。お前、ピアノ弾けただろう」
「?一応」
「お前は腰も腕も細い。粉をはたいて、紅をひいてー、そうだな…小奇麗にすれば何とかなる」
「何を……」
「仮面舞踏会に来い」
「!?」

父親の言っていることが、理解できなくて、ツナは目を見開いて、唇を少し開いた。

「何言ってるんだよ、父さん…」
「うるさい!俺にピアノが出来て、麗しい恋人なんぞいると思っているのか」
「だって、でも…」
「貴族なんぞ、馬鹿ばかりだ!俺はあいつ等に見下されるなんて、まっぴらなんだよ!」

わかるだろう、ツナ。と、同意を求めてくる。
どうやら、父はルリに嘘をついたらしかった。もっとも、ルリの方は嘘だと、とうに分かっているわけだが。
『ピアノが出来て、麗しい恋人』など、何処にもいやしなかったのだ。

「仮面を外すな、そして口も利くな!お前は、ピアノを弾いたら、とっとと帰るんだ!」
「そんな…」
「口答えは許さん!ああ、役に立ったことのないお前が、今こそ役に立てるというのに。
寧ろ喜ぶべきことじゃないのか!そうだろう!」

今にも打たれそうな父親の気迫に、ツナは戸惑いながらも、ゆっくりと頷くことしか出来なかった。
酷い言葉を投げつける父は、瞳をギラギラとさせ、自分が恥をかかない手段を探すのに必死だった。
恐ろしい夜になりそうだー…。そんな予感が、ツナの胸に一杯に広がった。

「でも、ドレスは」
「馬鹿なことを聞くな!自分で用意しろ!キョウコ様にでも借りればいいだろう!」
「!な…っ、無理だ!」
「いいか!何としても一等のドレスを着て、小奇麗に髪もまとめろ!
さもないと、今度こそハンナのピアノをぶっ壊して、放り出してやるぞ!」

恐ろしいことを言う父親に、ツナの心はズキズキと痛んだ。
なんということが始まるのだろうか。
自分に、あのルリの家でピアノを弾けとー、女装をしろとー…それも、上等なドレスを着ていかなければ。
母のピアノは壊されてしまう。

「−…ごめんなさい…、扉、叩いても…誰も出なかったから…」

そうっと、扉を開けて顔を覗かせたのはキョウコだった。父は軽く会釈すると、外へと消えた。
最後に、「いいか、忘れるな!モチダ様のお屋敷に、必ず来い!」と小声でツナを脅すことも忘れなかった。
ツナは青ざめてしまった。今の話を、聞かれなかっただろうか、と。
しかしツナの心配は的中してしまう。キョウコは話を聞いていた。
立ち聞きなんて、悪趣味な真似をするつもりなどなかったのだが、父親があまりにもツナに酷い言葉を投げかけるので、
このまま知らない振りをして立ち去るなんてことはできなかったのだ。
何故なら、キョウコが力を貸さなければ、ツナの身に酷く悲しいことが起こってしまう事が分かったからだ。

「ツナ君…。私の家に来ない?」
「え?」
「ごめんなさい…聞いてしまって。でも、お母様のピアノを壊すなんて、とても悲しいことでしょう」
「うん…」
「ドレスも全て、私のものを着て行けばいいわ。私もルリの舞踏会には行くの。一緒に行きましょう?」

キョウコが自分をフォローしてくれるつもりだ、という事はツナにも分かった。
目の前にいる、心優しい女性に感謝の気持ちが一杯になり、ツナは礼を言うと深々と頭を下げた。












「まあ……」

白い肌に、ほんのりと化粧もされた顔ー、そして淡いアイボリーのドレス。
それを着終わった頃、ツナは驚くべき変身を遂げていた。
キョウコは思わず、うっとりとしてしまったほどだ。
しかしツナは、コルセットで締め上げられたウエスト部分が痛くて仕方ない上に、
着慣れないドレスの感じに、歩くのでさえヨタヨタとしてしまって、父に恥をかかせやしないか、それだけが心配だった。

こわい、こわい、こわい。
父が恐ろしい!

それだけが頭を回り、どうしようもなく、ツナは震えた。
今にも崩れそうな身体を支えていると、キョウコが気の毒そうに、肩に優しく触れた。
こういう時、決まって思い出すのは、ディーノの顔だ。
今、ここに居てくれたらーと、ツナはディーノに思いを馳せた。
会いたい、会いたい。

「キョウコちゃん、ごめん。ちょっと歩いてきても、いいかな…」


外に出ると、辺りはもう真っ暗だった。
ドレスを少し捲り上げ、急いで噴水の広場に向かう。
ディーノの声を聞いたら、安心できるに違いないと、ツナは信じて疑わなかった。
慰めや激励なんかではない。ただ、一言、彼の「声」を聞くだけで、ツナはきっと、もう大丈夫だと確信していた。
息を切らして、ベンチに座る。そして座ってから、気がついた。

(そうだ…来てないこと、考えてなかった…)

しょぼんと肩を落とす。一人、男が通ったかと思うと、ツナの方をじいっと見つめていた。
通り過ぎても、まだ後ろを振り返る。まるで、ツナに魂を奪われたようだった。
ツナに見惚れただけの男だったが、ツナはそれを誤解して、不安になった。
男の自分がこんな格好で、本当に平気なのかと。

「素敵なドレスを着ていますね、お嬢様。うっかり見惚れてしまいましたよ」

上から降ってきた声に、ツナは希望に満ち溢れた瞳で、天井を見た。

「ー…なんてな。ツナ、お前実はお嬢様だったのかー?」

おどけた調子で、笑いながらディーノは口にした。
ツナはホっとした。やはり、彼の声を聞いただけで、安心できるのだ。

「ち、違います…!」

ツナにも笑顔が戻った。
そして、話した。今日、これから仮面舞踏会に行って、ピアノを弾かなければならないこと。
自分が酷く、不安だったこと。ディーノにとても会いたかったこと。
そしてそれは、ディーノも同じだった。

「会いたかった。ツナ」

ディーノはツナに、心からの抱擁と口付けを贈った。
これを本当にツナにできたらーと思うが、彼と話しているだけでも、ディーノの心は温かいもので満ち溢れるようだった。
ツナは嬉しそうに微笑んだかと思うと、片手で顔を覆う。

「−…ピアノが壊されるかもしれない」
「酷い話だな…。でも、心配すんな」
「…?」
「そんなこと、絶対させねーよ。だから、安心してろ」

ディーノの言っている意味が良く分からなかったが、きっと自分を安心させる為に、
言ってくれているに違いないーと、ツナは思った。そして、なんて優しい人なんだろう、と。
改めて、彼と巡り合えた幸運に感謝した。











女装までしだした…(汗)
マスカレード!某映画でとても好きなシーンの中の1つです。



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