ツナの部屋の扉の前まで来ると、ギラギラと瞳の奥を燃やして、扉を睨みつけた。
彼女は怒っていた。怒り狂っていた。
やがてそれが爆発したように、ドンドンドン!と、ドアを勢いのままに叩いた。
廊下に音が響き渡っても、気にはとめない。
今誰かに、自分の行動が止められたならば、そいつを刺し殺してしまいそうなほど、ルリは正気ではなかった。

「ツナ!ツナ、開けなさい!早く開けなさいったら…!!」

今にも、ドアを蹴破られそうな音に、ツナは何事かと、慌てて扉を開けた。
開けた途端、ルリにバチン!と頬を叩かれた。
何が分かったのかまるで分からずにー、しかし、じんじんと、頬に熱を帯びている感覚だけが、ツナの心に伝わっていた。
叩かれたまま横に向いていた顔を、ゆっくりとルリの方に向けると、彼女はそれでもまだ、治まっていないようであった。
真っ赤な下唇を噛み締めている。
頬も、興奮しているのか、それとも頬紅のせいなのか、真っ赤になっている。

「…あの…、オレ、また何かトチったんですか」
「貴方があの女性だったって、聞いたわ!とぼけないで!」

ドン、と、ツナの胸を押すと、ヨロリとよろけたツナが、口を開いて、驚いたようにルリを見た。
それを見て、ルリは益々、ツナが憎くなった。
自分を騙せるとでも思っていたのか、ずっと隠して、図々しくこの家に居座るつもりだったのか、
そしていずれ、兄を陥れようとしていたのかー、
様々な考えが、次々と頭に浮かんでは、目の前にいる少年への嫌悪感が高まっていく。
こいつは、この家を引っかきまわす疫病神だと、追い出さなければならないと、それが確実になった瞬間であった。

「お前の父親から、全部聞いたのよ!お兄様が貴方に落ちるとでも思ったの!?なんて自惚れやなこと…!」

ツナは言葉を出せなかった。
ルリの喋っている言葉を、理解するのには時間がかかりそうでー、彼女が何と言っているのか、自分が何を言っていいのか、分からないでいた。
彼女の怒りを少しでも鎮めることが先決だと思ったのだが、自分が何を言っても、きっと彼女は荒れ狂う。
どうしたらいいのか分からない。

「ー…何事だ?」

ぐるぐるとしていた頭が、男の声にハっとした。
自分だけでは、この場をやりきれないと思っていたツナにとっては第三者の登場はありがたかった。
振り向きその人物を確認すると、それはモチダであった。
彼が現れた途端、この場の空気が変わり、ルリは何も言葉を出せなくなったようだった。
しかし、やはり堪らなくなったのか、ルリは声を荒げて話しだす。
ツナの方を、指差して。

「信じられないと思うけど、聞いてちょうだい。あの女性は、ツナだったのよ!騙されていたのよ。お兄様も私もー」

嘆くように首を振り、ルリはモチダの胸元に寄り添った。
その様子を見て、ツナはいたたまれなくなった。
父親の無理な頼みとは言え、モチダとルリー二人を騙していたのに変わりはない。
モチダは真実を知っても尚、優しく接してくれたが、そのことが奇跡のようなものだ。
じっと、見つめてくるモチダと視線がぶつかったが、申し訳なくて、どうしようもなくて、ツナは視線を逸らして俯いた。
許してはもらえないかもしれないが、頭を下げる。

「……すいませんでした。オレ、二人のこと…、騙してた…」

そんな風に謝っても無駄よ、だめよ、ねえ、お兄様ー。
ルリのキンキンと耳に響く声が聞こえる。
そりゃ、駄目だろうな、と、ツナは自分の心の中でも呟いていた。
覚悟を決めておこうと、思っていた。
しかしモチダは、胸に張り付いているルリを、やんわりとどかし、ツナに歩み寄る。
ついにモチダからも引っ叩かれるのかもしれない、と、思い、ツナはぎゅっと、目を瞑った。

「…父親が悪い。お前はそれを、どうして言わない?」
「…でも、女性はオレです。騙してたのも、オレです」
「理由がある」

ツナは黙ってしまった。
モチダの顔が見れなくて、俯いてしまっていた顔。
その頬を、モチダは撫で上げ、ツナの顔を上に向かせ、自分を見つめさせた。
俯くのをやめても尚、モチダの手はツナの頬に触れている。
愛おしげに、何度も撫でるのを、ルリは目を見開いて見ていた。
信じられない、信じられない、信じられないー。
その言葉ばかりが、彼女の頭を支配していた。

「…お兄様、知っていたの。ツナが、あの女だってことー」
「知っていた。…しかし、こいつが悪いわけじゃない」
「悪いのはツナじゃない…。理由があってもなくても、変わらないわ…」

今、言われていること。
そして、今、目の前に見ている光景。
兄が、ツナを庇っているということー。
ルリには信じがたかった。信じたくない。兄は知っていたというのだ。
ツナが、あの女性だったということ。知っていた上で、この家においていたのだ。
あまりの真実に、ルリは唇を震わせた。

「…っ、駄目よ。ツナはこの家に置いておくべきじゃないわ」
「オレが置いておきたい」

兄の言葉に、ルリは立っていられなくなった。
その場に崩れ落ちる。
もしかしたらー、もしかしたらー。
どうしても起こってほしくない、どうしても信じたくないことが、起ころうとしているのではないか。
世界一愛する兄が、世界一憎い男を、愛しているのではないかー。

(ありえるはずが、ないわ…)

殺してやりたい。
ルリはその時、強烈な殺意に、支配された。
その場にツナが見えなくなっても、兄が居なくなっても、もう夜になっても、ルリは、ツナをどうにかしてやることばかりを考えていた。
兄はあのみすぼらしい少年の、どこに惹かれたと言うのだろう?
外見でも、中身でもない。どちらも、光っていない。ルリはそう思っていた。
街の、はみだし者。あんな男に、兄を渡すわけにはいかない。
ワインを一口、一口、もう一口喉に通した時ー、ハっとした。
兄は、あのピアノに魅せられたのだ。
それ以外、考えられない。
だったら、ツナに、ピアノを弾けなくさせてしまえばいい。

良い思いつきに、ルリは紅の取れた唇を、上に上げて微笑んだ。





そんな企みをまるで知らないモチダは、ピアノに向かおうとしていた。
久々に、ゆっくり弾こうー。そんな思いで、大理石の上を歩く。
黒く光っているピアノの蓋を開けようとすると、ヒラリ、と、上から封筒が落ちてきた。
真っ白な封筒は、赤いドクロで封じてある。
封を開け、中のカードには黒い文字。


『もうすぐ二ヶ月。

君の焦がれる愛しい者は、既に私の腕の中にある。

彼は 私のもの』


その紙切れの送り主が誰だかなんて、容易く分かる。
怪物ー。
モチダは忌々しげにカードを破り捨て、ランプの火の中へと放り投げた。












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