獄寺が近くに、−もうこんなに近くに居る。
その事実が、ツナを痛めつけた。
今となってはもう、自分は獄寺を傷つけるだけの存在になってしまっているような気がした。
自分ではボンゴレという名以外、どこをどう見たら尊敬に値するのか、未だ分かりはしないのだが、
それでもかつて、あれほどまでに「10代目、10代目」と、彼が明るく笑顔を振りまいてくれていた、のに。
今はもう、その笑顔すら悲しく映ってしまう。
ボンゴレという名が、これほどまでに早い段階で、重くのしかかってこようとはー
この名前さえなければ、獄寺だって離れようがあるかもしれないのに、
自分の中できっと、それすら許さないのであろう彼が、切なくて切なくて、仕方なかった。

「…貴方に告げるつもりはなかったんです」

ツナは、はっとしたように獄寺を見た。
獄寺は、うっすらと微笑を浮かべ、困ったように少し眉を寄せていた。
まだ少し濡れているツナの目元に手を触れ、涙を拭おうとするが、何を思ったのか、その手はツナに
触れない内に、すぐに引っ込められた。

「ただ側にいられればいいと思ってたのに、…困らせましたね」

すみません、と獄寺が静かに口にするのを、ツナは力いっぱい、首を横に振って否定した。
彼が謝ることなど何もないはずなのに、謝ってなどほしくないのに、そうさせているのは紛れもなく自分なのだ。

(獄寺君。……獄寺君)

こんなに大切で、こんなに好きでいるのに、どうして、どうして自分は、獄寺の傷口を広げることばかりしかできずに
いるのか。それが悔しくて、切なくて。
せめて女であったなら、ーそうしたら、きっと好きになっていた。
それほど獄寺は魅力的だと思うし、自分のことを大切に思ってくれている。
けれどどうしても、同性の彼と付き合うという、いわゆる「普通」の付き合いから外れているものを
受け入れられないのだ。

「…女だったらきっと、獄寺君のこと好きになってた」
「それでも、嬉しいっスよ」

笑った獄寺からは、切ない、切なげな箇所は一切見えない。
見えないように、出さないようにしているのだと思うと、ツナはもう、消えてなくなりたくなった。
どこまで獄寺に気を使わせ、どこまで彼に無理矢理の笑顔を出させるのかと思うと、
堪らなくー

「ほんと、に……、」

ごめん、と、声が出ない。出せなかった。
一言でも口にすれば、たちまち涙が溢れてしまい、それこそ獄寺を困らせることになる。
堪えて堪えて、唇を硬く結んでいると、しかし獄寺には見え透いていたようで、ハっとすると、
慌てて唇を開いた。

「すぐ、10代目のことは忘れられますから。
…恋なんて沢山しましたけど、結構吹っ切れるの早い方なんスよ、オレ」
「……そう、なの?」

コクンと頷き、微笑んで「はい」と答えると、漸くツナは、ほうっと、安堵の笑みを向けた。

嘘で固めた言葉。
恋なんてこれが最初で最後なのは分かっているし、この気持ちが消えてなくなるなんてことは
一生、永遠に考えられない。ツナこそが、自分の全てである。
ツナに言った言葉はまるっきりの嘘だが、仕方なかった。
こうでも言わないと、ツナは気にしてしまうだろうしー、だから、仕方なかったのだ。
それでもまだ、瞳に涙を溜めて獄寺を見る。ああ、この人は必死なのだと、獄寺は思った。
そういった意味での好意は受け取れなくとも、やはり大切に思ってもらえているのだろう。
それは伝わってくる。
獄寺が薄く微笑みをみせると、ツナの瞳から、ボロンと涙が零れ落ちた。













その後、ツナは急いで元の表情に戻った。慌てて、涙を拭って。
獄寺を見ると、さっきまでの泣き顔とはまるきり違い、もういつもの表情に戻っていた。
それが、ツナに出来る精一杯だったのだと思う。
獄寺は、ツナの家に近い自分の部屋で、ぼうっと、座り込んでいた。
無音だと今にも、ツナの声が聞こえてきてしまいそうでテレビをつけるが、それに集中できるわけもなく。
ただただ、今日のことを思い出しては、ツキリと胸を痛めていた。
あの屋上での事以外で、ツナが告白のことを口にすることはなかった。
だからと言って、距離を置いて話さないわけではなく、適当に、他愛もない話ばかりしていた。
それは、獄寺を気遣ってのことであった。

家に帰ってからは、堪えていた涙が溢れた。
あんなにも自分を気遣ってくれているツナの前で涙するなど、そんなことは絶対に無理だったが、
辛くないわけはなかった。
ツナの前では微塵も見せなかったが、獄寺は、堪えて、堪えて、ただひたすらに堪えていた。
普段通りに振舞って笑顔を見せるのは、とても、とても辛いことだったのだ。

部屋に入ってからは、泣くだけ泣いた。今日は生まれてきた中で、とても沢山泣いた日だと思う。
そして今日は、ツナを泣かせた。

(……やっちまった…)

彼の笑顔が見たいと願うのに、それなのに、ツナの目から涙を溢れさせてしまった。
そしてそれを見てまた強く、ああ、この人が好きだと思ってしまった。

もう、忘れなければならない。
このことは、なかったことにしなくては。

いつかツナに恋人が出来たって、笑って祝福できるようになっていなければならない。
それはとても難しいことだが、それでもー…
心の中では祝福できないかもしれないが、せめてツナの前では、最高の笑顔を向けたい。
窓から顔を覗かせ、ツナの家の方角を見る。
もうすぐに行けてしまう距離。常にツナのすぐ側に居たくて、ここまで引っ越してしまった。

(もう夕飯をご一緒させてもらうことも、ねぇだろうな…)

以前、ツナが獄寺を招いたことがあった。
誘われた時は嬉しくて、嬉しくて。そして理性に自信がなかった為に、早く帰ろうとしたり、したっけな、と。
思い出してみても、悲しくなるばかりだった。
ツナは優しいから、もしかしたらまた、ご飯を一緒に食べる事もあるかもしれない。
だが、きっとその時には妙な空気が流れてしまうのだろう。

(…そりゃ、怖いよな。好きだとか何だとか言った男と、なんて)

重い溜め息を吐き出しても、心の中の重たい部分は全くなくならない。
ツナの笑顔が、もう向けられなくなるかもしれない。
一緒の時間を過ごすのを、負担に思われてしまったら。
それを思うと、獄寺の心は更に深く沈んでいった。



一番大切で、何よりも愛しくてー。
だから、もう二度と、困らせるような真似をしてはいけない。


全てを忘れ終わらせるのだと思うと、たちまち視界が水の膜で、歪んで見えた。





失恋。


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