傷つけるだけならば、いっそ離れて、距離を置いたほうがいいかと思った。 ツナはそう考えた。 なのに、獄寺は信じられないというように、どうしようもなく悲しげに、瞳を揺らしたものだから、 ツナは胸が痛んでたまらなかった。 けれど、ここで「嘘だよ、ごめん」と言う訳にもいかない。 それでは結局、同じこと。 「一回、離れた方がいい…」 ぐるりと後ろを向いて、この場を飛び出そうと、勢い良く駆け出そうとした。 けれど、まだ止まったまま、動けない。 「嘘」と言うならば、今。言葉を抑えて、このまま獄寺と離れる道を選ぶなら、この部屋を早く出た方がいい。 そうでないと、言ってしまう。 『嘘。離れるなんて、できない』ー 最悪だ、どうしたらいいんだ、と、胸の内は靄で一杯になる。 こっぴどく、彼を跳ね除けてしまえばいいんだろうか。 嫌いだ、と。顔も見たくないと。 そんなこと、できやしない。大切な友である獄寺に、どうしてそんな嘘がつけるだろう。 こんなにも一直線に、自分を愛してくれている人間に、そんな事を言えない。 なんて弱く臆病なのか。ツナは唇を噛み締めた。 (獄寺君を、これから傷つけない為なんだから) お互いにとって、きっとこれが一番いいのだから。 ツナは図書室を飛び出した。 もうこれから、同じ空間で笑い合ったりしない。 夕飯だって、一緒に食べない。 勉強だって、教えてもらわない。 獄寺が校内で暴れたって、知らんぷり。 互いの姿を瞳に映して、微笑みあったりしない。 何も、しない。 友達を、こんな形で失うことになるなんて、考えてもみなかった。 もうどのくらい、階段を上っただろう。 いつもならばとっくに疲れて歩いているのに、今はただ、ぐずぐずと鼻が鳴って、 視界が歪んでいることしか感じない。 やがて屋上までやってきてしまった。 ここで一緒に昼食を食べることも、もう、ない。 わあっと、泣き出したかった。 けれどそれはせずに、ただ、立ち尽くしていた。 馬鹿みたいに晴れて、天気が良い。雲が一つ、二つ、ぽっかりと浮いている。 ぼうっとそれを見つめていると、バンと、屋上の扉が開いた音がした。 はっとして振り返れば、そこには獄寺が立っていた。 「…っなんで追ってくるんだよ!」 久しぶりに、こんな大きな声を張り上げたー。ツナはそんな事を考えていた。 一歩、一歩、獄寺がツナの方に近づいているのが分かると、慌ててツナは、獄寺に背を向けた。 もうツナに、触れられる距離にある。 獄寺はピタリと止まると、ツナの肩に手を伸ばした。 しかし、その手をぎゅっと握り締め、拳を作ると、やがて手を引っ込めた。 触れそうになるのを、我慢した。 「…オレが、恐いからですか」 「…そうだよ」 ツナは嘘を吐いた。まさか、君の為だとかお互いの為だとか、そんなこと言えない。 獄寺はきっと、それを拒むだろうから。 背中越しに、獄寺の表情が見えてくるようだ。俯いてしまっているのだろうか。 ツナは身を裂かれる思いだった。獄寺を一体、どれだけ傷つければいいのだろうかと。 でもきっと、もうすぐお終いだ。離れてしまえば、獄寺にもきっとその内、新しい恋がやってくる。 (ごめん、獄寺君…) びゅうっと、強く風が吹いて、ツナは少し、体を縮めた。 獄寺は一歩、ツナの側から離れた。ツナの背をじいっと見ると、硬く瞳を閉じ、深く俯いた。 「…友達以上の事はしないと、約束します」 「え…、」 「破ったら、遠くに行きます。今度こそ」 ツナはゆっくりと、獄寺の方を振り返った。 やはり、俯いていて、顔が見えない。 「獄寺君…」と小さく呼ぶと、漸く、ゆっくりと顔を上げた。 さっきから、悲しそうな瞳ばかり見ていると、ツナは思った。そしてそうさせているのは、紛れもなく自分なのだ。 「だからどうか、…恐がらないで。離れるなんて、言わないでください…」 そっと、ツナの手を包んだ。 獄寺の手は温かくて、この手を離すなんて辛いと、実感してしまう。 獄寺の瞳を覗きこむと、獄寺はうっすら、微笑んだ。 「…冷たいっスね」 「…獄寺君、あったかいね」 へへ、と笑い合う。 こうしていれば、ただの、普通の友達のようなのに、もう、そうじゃない。 ツナは、そっと、獄寺から自分の手を離し、そっと微笑むと、ゆっくりと視線を落とした。 『本当に、獄寺君のこと、好きになれれば良かったのに』 心の底からそう感じたが、口には出さない。 泣き出しそうになる瞳を瞑って、ただ、俯いていた。 獄寺もツナも、いつも通りに会話をして、笑い合う。 彼との日々はやっぱり楽しくて、自分だけ、楽しいんじゃないかと。罪悪感に打ちひしがれそうになる。 獄寺は笑っていても、辛いだけなんじゃないだろうかと。 そう思ってしまうが、その度に、ごめん、ごめんと心の中で繰り返す。 「10代目、今日空いてますか?」 「ごめん、今日これ行く」 ピラリと鞄の中から見せたのは、スーパーの特売の広告だった。 一人で家事をするようになってから、すぐの頃は、訳が分からなくて、無計画に金を使いすぎて、まずい!なんて事もあった。 しかし、段々分かってきた。一人で生活していく上でも、どれだけ金を使うかということ。 ちゃんと考えるようになってから、 月々の生活費が、多目に振り込まれている事も、分かった。 父や母、どんなに自分に金をつぎ込んでもらったか分からない。 そういう事を考えると、じんわりと胸が熱くなった。 『生活費が足りません』なんてことにだけはなりたくなかったのだ。 「そのまま行くんスか?」 「や、ちょっと遠いから一回鞄置いて、自転車で行く」 「お供します」 へらりと笑った顔に、また、チクリと胸が痛んだ。 もう悲しませたりはしたくない。それはツナの切実な想いだった。 家に帰って、自転車に乗ろうとすると、獄寺がハンドルを奪った。 ぎょっとして、ツナはぶんぶんと頭を振った。 「い、いいよ!大丈夫、オレが漕ぐから」 「そういう訳には…」 「じゃあ獄寺君後ろ、乗って」 ね、と獄寺を見上げたが、今度は獄寺が、滅相もない!と言わんばかりに激しく頭を横に振った。 振りすぎだ、と、ツナは思わず笑ってしまった。 しかし更に乗って、と言うと、獄寺は渋々、後ろに乗った。 走り出そうとペダルを漕ぐが、思った以上に、ペダルが重たい。 のろりのろりと進み、やがて少し早く走り出したが、その頃にはもう息が上がってしまっていた。 「−…10代目、か、変わるっスよ」 「………ごめん、ほんとごめん」 ゼイゼイとしながら自転車を降り、素直に獄寺にハンドルを渡す。 後ろにストンと座り、獄寺の腰に手を回そうとするが、ツナは戸惑ってしまった。 触って、いいものかどうかー…。 しかし、そんなツナの様子に気がついた獄寺は、ふっと笑って、ツナの手を、やんわりと自分の方に引いた。 「…掴まっててくださいね」 「…ん」 獄寺の腰に、手を回す。自転車は走り出す。 ぴとりと、獄寺の背中に体をくっつけているのは、とても安心する。 けれど、獄寺はどうなのだろう。 「…獄寺君」 「はい」 「あの、オレ走ろうか」 「は?何でですか」 ツナは少しだけ、体を離した。腰に回していた手も、力を緩めた。 獄寺は優しい。どこまでも。 だから、辛いだとか、苦しいだとか、そういう言葉は、きっとギリギリの、ギリギリまで言わないだろう。 この席に、乗っていていいのだろうか。 自分が側にいることで、苦しいことは、無いのだろうか。 獄寺は、言わないだけなのかもしれない。ツナは、ゆっくりと唇を開いた。 「…君を苦しめているなら、すぐにでも離れるから、言ってほしい」 「ー…何、言ってるんスか」 はは、と笑ったような声が、風に混じって聞こえる。 そのすぐ後、獄寺は黙ったかと思って、ツナは瞳を閉じたが、その後、微かな声が聞こえた。 貴方とだけは、離れたくありませんー そう言った、獄寺の小さな小さな声が、心の中にずっと残っていては、繰り返される。 |