しかし、多くを望んではいけない。 側にいられるだけで、幸せだと。また、強く強く言い聞かせた。 この人の側に居たいと、 それだけで幸せなんだと思った事は、本当だった。 たとえ、少しの嘘があることに、自分の中で気がついていようとも、それには目を瞑るしか、できなかったのだ。 そうすることで、きっと自分を保っていた。 獄寺がツナの家に来た頃には、もう既に家の中はカレーの匂いで充満していた。 リビングへと導き、席につく。 テーブルにはもう、用意がされていた。 盛られたカレーは、甘すぎず、辛すぎず、「美味しい」と何度口にしたか分からない。 最も、作り主がツナでなかったら、何も言わずに口を動かすのみだったに違いないが。 「あ、オレやりますよ」 「い、いいよ!座ってて」 後片付けを手伝おうとする獄寺を、ツナは必死で止めた。 獄寺が台所へ立てば、皿が飛ぶ。何枚被害が出るかわかったものじゃない。 獄寺の背中を押し、椅子へドンと座らせると、テレビのリモコンを押した。 すぐにタレント達の声が、部屋を騒がしくさせた。 しかし獄寺は、勿論テレビなど見ては居なかった。 ガチャガチャと、食器を洗っているツナの背中を、ただただ、見ていた。 (いいよなぁ) どこもかしこも魅力的で、日々、惹かれていく。 部下である自分に、夕飯までご馳走してくれて。 こういう風に、何気なく側に居られる。 それはとても素晴らしいことだと、知っていたはずの自分。 だけどツナを見てしまえば、抱きしめたくもなるし、部下としては勿論、友達としてだってまだ、行き過ぎたものが出てきてしまうのは、どうしようもないことだった。 いま、この空間に二人きりで。 (−………、…) やばい、と思った。 帰った方がいい、この関係を続けたいのなら、何も壊したくないのならば、危ない時は、ツナの前から去って、頭を冷やした方がいい。ばばっと、頭の中全域にその考えが広まり、超特急で警報が鳴り響いた気がした。 席を立とうと思った時、丁度ツナがキュっと、蛇口を止めて振り返った。 「…すいません、ちょっと用事、思い出したんでー…、帰ります」 「え…、あ…そっか」 すいません、ともう一度頭を下げる獄寺に、ツナは「いいよいいよ」と、焦ったように手を振ってみせる。 しかし、明らかに落胆の色。 睫毛を伏せ、目線をずらしたツナは、獄寺の胸を鳴らせるのに、淡い期待を持たせるのには十分だった。 「数学の宿題、全くわかんなくて」 困ったように笑う。 「ここらへん」止まりだとは思っていたが、少々、肩を落としてしまった。 それでもツナに頼ってもらえるのも、引き止めてもらえるのも嬉しくて。 「手伝いますよ」 ニカっと笑ってそう告げると、ツナはポカンとした表情を見せた。 「い、いいよいいよ!大丈夫だから」 「オレも大丈夫、ですから」 「だって用事」 「大丈夫っス」 「…ほんとにいいの?」 「勿論ですよ」 「…−…ありがとう」 ごめんね。も、ちょっと混じったような笑い方をする。 ツナがどんなに、どんなに愛しくても、この手は伸ばさない。 一問、一問、問題が解けていく度に嬉しそうな顔をする。それを見ていると、自分まで嬉しくなってしまう。 自分の説明を聞いては、問題を解き、シャーペンを動かしていく。 分からない所があると、「獄寺君…」と遠慮がちに呼んでは、裾をチョイ、と軽く引っ張る。 視線と言葉と、触れた指は、いとも簡単に、心を掻き乱してくれる。 ああ本当に、この人はこんなに無防備ではいけないのだ。 早くー早くこの場から去らなくてはと、そう思っているのに、離れられない。 ツナとの時間はなるべく多く共有していたいし、それに、獄寺の「帰らなくては」という空気を、ツナは読み取っているようだった。瞳の奥が、不安に揺れている。 そんな風にされたら、もう、堪らなくて。 どんな時だって、彼に敵いっこないし、どんな時だって、自分の全てなのだ。 |