日本棋院会館―
先心の間前。
手合いが終わり、出てくるを待つ。
正直ここまでしなくても良いとは思うが、逃げられそうでこわいのだ。
周りから視線を向けられているのが分かる。
そしてその中に、がいた。
「うわっ‥お、おが‥っ」
「‥帰るぞ」
相当驚いているの腕をぐいっと引っ張り、強引に棋院の外に出し、そのまま車に乗せた。
は一人で首を傾げている。
そしてようやく、口を開く。
「‥わざわざ迎えに来なくても‥。緒方先生、有名人だから目立ってましたよ」
そうしないと、お前は逃げるだろう。
そう心の中で呟いた。
「―…手合いは‥勝ったのか?」
「うん。あっ緒方先生、私の家寄って!次の角右!」
『寄って』というところから、一応帰るのは俺の家だと自覚しているらしい。
に言われるがままにハンドルを切る。
「服とか取りに行かなきゃ」
ポツリとが口にする言葉に、妙に嬉しくなる。
一人で家に居る時、もう何度も『がここにいたら』と思う事があった。
その願望が、今まさに現実のものになろうとしているのだ。
嬉しい気持ちを抑えてハンドルを握り、の家へと向かった。
の家に寄った後、コンビニで適当に弁当を買った。
あまり料理は得意ではないし、もなんとなく、そうなんじゃないかと思った。
が碁の事ばかりに夢中な事は、俺にも分かっている。
「緒方先生、そっち美味しい?」
俺の弁当をのぞき込みながらが聞く。「人が食べているものが美味しそうに映る」という、アレだ。
「―‥食うか?」
言った途端、ちょうだい、とは弁当からひょいとおかずを取る。
むぐむぐと美味しそうに口を動かしながら、今度は自分の弁当を勧める。
「緒方先生も私の、食べる?」
返事はしないまま、素直にの弁当に箸をつけると、がうまいよ、と笑う。
・・・正直、驚いていた。
今までだったら、子供じみた幼稚な真似だと小馬鹿にしていたような事を、今は寧ろ嬉しいと感じている。
信じがたい事だが、事実だ。
確かに心は暖まっている。
<‥相手がだから‥か…?>
目の前でおいしそうに口を動かすが愛しい。
堪らなくなって、の方に手を伸ばす。
しかし。
「緒方先生」
伸ばした手をヒョイとかわされ、ゴホンと一つ席払いすると、仕方なく手を引っ込める。
「ビール、美味しい?」
弁当の横に置いてあるビール缶をは興味津々に見つめる。
『飲んでみたい』というのがおもむろに顔に表れている。
「―‥飲むか‥?」
「飲む!」
コト、との前に缶を置くと、はぐいっとビールを口に流すが―‥
「…苦…」
いかにもそれらしい顔をすると、すぐに缶を置き、口直しに弁当をばくばくと口に詰め込み始める。
「お酒って全部苦いの?」
眉間にシワを寄せながら、は問いかける。
「いや…苦くないのもあるが…」
「苦くないの飲みたかった」
ガキっぽいけど、と笑う。
…それなら、と思い、車のキーを取った。
「ついてこい」
車を走らせる事、およそ30分。
を連れて来たのは、会員制のバーだ。
どうやらは、いかにもな雰囲気に緊張しているようだ。
それを隠すように、酒をゴクゴクと飲み干している。
…大丈夫か?
「―‥そんな一気に」
「苦くない!」
の顔がぱぁっと明るくなり、もっと飲んでいい?とねだるように聞いてくる。
ねだられると弱くなるような相手も、今までは無かった。
「‥程々にしておけ」
後で気持ち悪くなるぞ、という俺の忠告も聞かずに、はハイピッチで飲み続けた。
「‥キモチワルイ‥」
「だから言っただろう」
案の定、飲み過ぎて気分が悪くなったは、家に着くとすぐにトイレに駆け込んだ。
車の揺れで、更に気持ち悪さが倍増したのだろう。
トイレからフラフラと戻ると、今度はベッドに倒れこんだ。
「うえー…」
「‥寝てろ」
「うん…ゴメンなさい…」
しゅんとしたの頭にポンと手を乗せると、は指示通りベッドに潜り込んだ。
「…水‥」
台所からコップ一杯の水を持って、の居るベッドへと向かったが、はすやすやと寝ていた。
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