「お前ー…」

そこで止まった台詞。
彼は何かに勘付いてしまったのではないだろうか。
心配になり、モチダの薄い唇が動くのを見られない。

「−…姉か妹は…」
「いないー…です、けど…」
「ならー…ならば、サワダ、お前…シュウの恋人とお前は、何か関係は…」

まずい!心を落ち着かせる為に握った拳から、変な汗のような物が、じんわりと出てきてしまった。
疑われているのは明らかだ。
モチダを何とか、言いくるめなければいけないがーそれでも、彼は切れる男だ。
下手なことを言うと、バレてしまう恐れがある。

「…今日のモチダさんはどうかしているわ。何が言いたいの?
ツナ君のお父様の恋人は、私だって見たことがあるのにー…ツナ君とは面識がないのよ」
「−…ああ、そうー…そうだな。サワダに関係があるはずがない」

まさか、そんな事があるはずがないーと、モチダはすぐに自分の馬鹿げた考えを打ち消した。
そうして、納得することができた。
モチダが背を向け、その場を去ると、今度はルリがツナの後ろからやってきた。
勿論、取り巻きのお姫様達を従えて。

「あら、二人共。ー…ま、サワダ。貴方のお父様の恋人って、随分可愛らしい方なのね!
どこの娼婦の方なのかしら」
「ルリ!ひどい事を言うのはよして」
「何かひどい事を言ったかしら?ひどいのは、あの女!シュウの恋人よ!お兄様をあんなに悩ませるなんて」

ツンと釣りあがった、濃い色の眉を寄せ、ツナを睨み付けた。

「舞踏会の時は見えなかったけれどー…!あの化物と同じよ。
きっと、仮面の下には酷い顔を隠しているに違いないわ。素性は卑しい女よ!
お兄様があんなに焦がれてるっていうのに、あの女は兄に愛を囁かないなんて」

化物という単語を、街の住民が言う度に、ツナの心は痛んだ。
名前があるのに!本当は、素晴らしい人なのに!
ツナが苦々しく顔を歪め、睫毛を伏せると、ルリは「なあに!」と、強い声を響かせた。
そして、もう一にらみすると、ルリ達はわざとツナに肩をぶつけて、通り過ぎて行った。

ああ、もう少しで仮面舞踏会がやってくる。
また、あの煌びやかな世界でルリ達を相手に、あの女性を演じ続けなければならないのだ。
しかもモチダは、自分を疑っているときている。

どうしたらいいのだろうー…、と不安で一杯になったところで、舞踏会は着実に近づいてくる。

恐ろしい舞踏会。
しかし、ディーノとのレッスンは楽しく、彼が弾くピアノにも、いつも魅了されていた。
彼は天才だ。
弾く音も、自分を高みへと導いてくれる的確な指導も、素晴らしかった。
ディーノをまだ、瞳に映していないのはとても残念なことだが、こうして声を交わせるー
一緒に、音を奏でられる。それだけでも、幸せなことだった。






舞踏会まで、もう少しー。
ある日の、夜のことだ。
仕事を終えて歩く夜の街は、いつも閑散として不気味なくらいなのに、今日はザワザワと人だかりが出来ていた。
皆、時計台の方を見ていた。
ある女性は顔を覆って、絶望の声を出してすすり泣き、
またある女性は、額に手を当て、今あった事件で乱した心を、落ち着かせようとしているようだった。
そしてある者は、額から血を出しー、良く見ると、ほとんどの人間が、何処かしら怪我を負っているようだった。
うめき声が聞こえる。

(−…もしかしたら)

ツナは人だかりに近づいた。
すると、夥しい程の薔薇の花弁が、そこら中に広がっていた。
ぞっとするほどの、花弁。

「ツナ君!」

キョウコが不安に瞳を揺らしながら、近づいてくる。

「これはー…」
「ファントムよ!−…ほら、あそこにうずくまっている、あの女性…素顔を見てしまったみたいなの。
醜い化物!、地獄に落ちるがいい!ってー…声がしたのよ。その後、悲鳴が…」
「ー…それで皆、集まってきたの?」
「ええ…。私が見た時は、もう彼は時計台の上に。皆、随分とファントムを挑発してしまったのよ。
多分、大勢だから強気になったんでしょうね。そうしたら、急に薔薇の花弁の嵐がきたのよ」

それは確かに花弁だが、花弁ではなかった。
花弁のような柔らかさはなく、鋭く尖ったそれは、人々を傷付けた。
街中は悲鳴に包まれ、やっと花弁の嵐が去ったかと思うと、時計台の上の化物は消えていたのだ。
女性が発した言葉ー…”醜い化物!地獄に落ちるがいい!”
あの他に、あれ以上に、街中の皆が、彼を痛めつけたのだろうか。

(−…ディーノさん)

真っ黒な、深い深い、底無しの闇しか見えない。
夜の闇より暗い、その薔薇の花弁を優しく掬うと、そうっと、花弁を抱きしめた。
ツナは、悲しくて、切なくて堪らなかった。

彼の苦しみには、底が見えないー。










翌日。
夜の闇に美しく、粉雪が舞った。
ツナは今日も、ヘトヘトだった。
ー煙突掃除をした館の主は、以前、自分にチップをくれた白髪に、長く、白い顎鬚を持った品の良い老人。
今日は、妙な事を言われた。

”もうすぐ、仮面舞踏会が開かれる。ー…明日、もう一度この屋敷に来ておくれ”

いつもはベッドに横たわっているらしい主は、よぼよぼと歩き、ツナ目掛けて、静かにそう言った。
そして、最後にポツリと、独り言のようにー

”また、あのピアノが聴けるー”

そう言った。
「あのピアノ」−この台詞に、ツナは心臓が飛び出そうになってしまった。

(何か…、何か分かってしまっているのかな…)

その後は皿洗いの仕事に出かけたが、それは手を真っ赤にさせ、じんじんと痛んだ。
寒さと疲れで、一刻も早く、家にー屋根のある場所に戻りたかったが、ツナは噴水の広場へ向かった。
凍えた手を擦り、ベンチに座ると、早速ディーノの声が聞こえた。
ー昨日の事件を思い出してしまって、手よりも心が酷く痛む。

「ー…相当雪、降ってるな…寒いだろ?ツナ」
「だ、大丈夫です。ディーノさんの方がー…」
「ん?オレは平気。地下、行くか」

小さく返事をしたツナだったが、いつもと少し違う様子のツナに、ディーノの声色が変わった。

「…ツナ?どした?」
「…何、でも…」
「ー…昨日のこと、聞いちゃった?」
「!!」

口にしない方がいいのかもしれないー、そう思い、昨日の事を言うのを躊躇っていたツナだった。
逆にディーノから聞かれ、ツナは戸惑いながらも、「はい」と返事をした。

「もうオレに、ピアノを教わるのも嫌?」
「な…、っ嫌じゃないです」
「ー…良かった」
「…ディーノさんは化物、なんかじゃ」

ない、と言おうとした瞬間、パサリと、上から何かが落ちてきた。
黒い薔薇だった。
昨日の花弁と同様、底の見えない、深い闇だった。

「…昨日のことは、確かにオレだし、−…オレは確かに化物だ」

ツナは雪の上に寂しく投げられた薔薇を拾うと、温めるようにその手に取った。
こんなに深い闇は、見たことがない。
ツナの心は、悲しみに濡れた。

「…でも、ディーノさん…」
「お前が今、話しているのも」

それでも、いいというのか。
皆が恐れ慄く化物と、言葉を交わしてしまっている。それを受け入れてくれるのか。
この存在を、全て認めてくれるのか。
ディーノが自分に問いたいだろう事が、ツナに伝わってきた。
それが余計に、悲しくなる。
今までどれだけ、存在を否定され続けていたのだろうかと。

「−…ディーノさん、…降りてきて…、」


今度こそ、彼をこの瞳に映し出したかった。
ディーノがどれだけ大切か、分かってほしい。




漸くディーノさんをちゃんと見れるのでしょうか。
私もそろそろ本誌でディーノさんが見たいです<う 飢え …!
謎の白髪の老人は、3話にちょろっと出てきた方です。


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