トシロウの居る部屋へ行くと、彼はぐったりと、ベッドに横たわっていた。 ツナはもしや、と、まさかの心配をして、駆け寄ったが、トシロウが瞳を薄っすらと明けて、それを細めたので 安心して、胸を撫で下ろした。 「おお…−良く似合っておる」 「ー…ありがとうございます。こんな立派なドレス…」 「いいんじゃよ。君が女だったら差し上げたいところじゃが…、男の君が貰っても、役に立たないじゃろ」 楽しそうに口を動かすトシロウに、ツナも笑って頷くと、真っ直ぐに彼を見て、 深くお辞儀をした。 「−…、いってきます」 「…いつか、見たいのう。あのモチダの家の立派な舞台の上で、君がピアノを奏でる所を。 成功を、祈ってるよ。…またおいで」 不安を瞳の奥に隠し、微笑みながらコクリと頷くと、ツナは屋敷を出た。 キョウコとの待ち合わせ場所に行くまで、擦れ違いの人間が皆、ツナの方を振り返った。 ツナは不安になってしまった。 薄暗い街灯の下で、キョウコを待っている間も、通り過ぎる人間達は皆、チラチラと見てくる。 何台もの馬車が通り、豪華なドレスに身を包んだ貴婦人と、立派な正装の紳士は皆、モチダの家に向かっているのだろう。 「−…ツナくん?」 ぽそっと声が聞こえた方を見ると、そこにはキョウコが立っていた。 淡いサーモンピンクのドレスは、とてもキョウコに似合っている。 ツナはほうっと息を吐いたが、それはキョウコも同じことだった。 「−…ツナくん、よね?」 「え…ー?うん。キョウコちゃん、良く似合ってる」 「ありがと。−…ああ、驚いた。ツナ君かどうか、分からなかったから。 皆、ジロジロ見ていかなかった?」 「う、うんー…。何処かおかしい?男に見える?」 ツナが仮面をつけたまま、首を傾げて自分の姿を見ると、キョウコは喉の奥で笑って見せた。 「いいえ。とっても綺麗。−…驚いちゃった、本当に。 明るいところで見たら私、何分間、ツナ君の事見つめていたかしら」 ドン!と色とりどりの花火が夜空に散っていく。 モチダ低の舞踏会の為だけに用意され、打ち上げられる花火。 モチダの家柄を誇示するかのようなそれは、外に居る来客達は皆、口を開けて見ていた。 だが、それすら、モチダにはどうでもよかった。 ソワソワと、落ち着きが無い素振り。 いつも冷静沈着な兄のこんな姿を、ルリは見たことがなかった。 「−…お兄様、落ち着いたら?」 「いやー…、そうだな。だが…」 「なんてこと!皆、来ているのよ!街中の女性がこの日の為に、新しいドレスを新調したわ! お兄様、もっと周りを見て、他の女性に目を向けたら!? 皆、お兄様が話しかけてくれるのを待っているのよ。見てよ、女性達の落ち着きのなさ」 「−…人を待ってるんだ。他の女性の事は…」 「分かっているわ!あの女性でしょ?でも、後ろを振り返って見て!部屋中を見渡して! 煌びやかなシャンデリアに、大理石の床。一級品のシェフの料理!あの女性にはきっと釣りあわないわ。 大体、素性を知っているの?きっと卑しい女ー…」 ルリがやかましく言うのを、モチダは鋭い眼光で止めた。 「あの女性を侮辱するのは許さない」 悔しそうにルリが、ルージュを塗りたくった唇を噛むと、来客達が突然ざわめき始めた。 モチダが何事かと目をやると、そこには、キョウコとあの女性が立っていた。 「美しい」「なんて清らかな」と、人々が感嘆を漏らす。 「−……!」 どうしたことだろう。 以前会った時より、ずっと、ずっとー…。 この女性は魅力的に光り輝いているではないか。 モチダは何か、声を掛けたかったが、上手く言葉が出なかった。 「…モチダさん、あの…、ここじゃ落ち着かないと思うの。 何処かもっと、落ち着ける場所に通してもらえたら、と思うのだけどー」 人前に出て、ツナが不安に思っているのを、キョウコにはジワジワと伝わってきた。 キョウコが慌てて、モチダに頼むと、モチダは正気に戻ったかのように、目を見開き、頷いた。 「あら。ピアノを弾いてくださるお約束でしょう?」 ルリが意地悪く言うが、ツナはコクリと頷いた。 声は出せないので、ボディーランゲージしか出来ないのだ。 「ルリ!来て間もないのにそんなー…」 キョウコが抗議しようとしたのを、ツナが止めた。 キョウコに向かって軽く首を振って、もう一度頷いた。 出来るなら、早く弾いて、早く帰りたいーというのが、ツナの本音だったのだ。 キョウコは戸惑ったような顔をしたが、やがて、渋々頷いた。 そうして、4人はまた、舞台の奥のピアノへと導かれた。 正式な舞台の上のピアノは、ルリ専用であった。 自分以外の人間がその舞台に立つのは、ルリは絶対に嫌だった。 しかし、それはツナにとって好都合であった。 大勢の人の前で、この格好でピアノを弾くなんて、とてもじゃないが無理だ。 恥ずかしすぎる。 「さあ、どうぞ」 ツンとすました声で、ルリが早く弾けと促した。 しかしツナは、緊張と、そして冷たい外の空気の中から来て間もないという事もあって、 鍵盤の上に乗せた指をカタカタと震わせた。 「ー…ああ、震えてー…冷えるのか?」 やんわりとツナの指を取り、その手を撫でると、ひんやりとした感触がモチダの手に伝わった。 ああ、ずっと会いたいと願っていたあの女性の温もりを今、確かめていられるのだ。 指先の当たりも、温めるように撫でると、皮が剥がれた、ザラリとした感触がした。 この間ー噴水の広場で手を握った時は、手袋をしていたので、分からなかったがー 今は、ピアノを弾こうとしている手は、手袋などはめていない。 素の、彼女の肌だ。 それが、こんなにも荒れている。 こんな手を、どこかでー ふと、モチダの頭に過ぎったのは、ある少年と行った、ピアノ・レッッスン。 (−………サワダの…) ツナの家で、ツナのピアノを少し見てやった時。あまりに荒れている手が、モチダの記憶に残っていた。 自分はこの手を、知っているし、それにー…この空気を、知っている気がする。 『冷えるか』と聞かれたツナは、軽く横に首を振って、少し俯いた。 そうだ。 確かにこの女性の、こんな空気を − 自分は知っている。 (まさか、そんな訳は無いー…) 大体、ツナはあんなにピアノがヘタクソで、ノクターンすら弾けないのだ。 ー…いや、弾けないのかどうか、ワカラナイ。 自分の目で見たのは、鍵盤を叩くようにして、とてもじゃないが、聞けたものではないピアノだったがー しかし、キョウコはツナの「ノクターン」は素敵だと言っていた。 それがどうにも、モチダには引っ掛かって仕方なかった。 (いや、だが、まさか…まさか…) 漸く彼女の手を離すと、その手を鍵盤の上に乗せた。 まだ、微かに震えている指を見て、ルリは笑った。 「あら、何を弾いてくださるのかしら?その震えた指で!」 モチダに睨まれ、ルリは慌てて扇子を広げ、いやらしく笑った口許を隠す。 (−…大丈夫だ。あのディーノさんが教えてくれたんだから。 絶対、ルリさん達を納得させるだけのものを演奏できる) 覚悟を決めたツナの指先が、鍵盤の上を舞うと、3人の表情が変わった。 |
弾き始めました。
今日のモチダはソワソワしすぎていたようです。(笑)
ディーノさんのことは、ツナは本気で信頼しています。
なんせ大好きなディーノさんです。
次回かそのまた次回で、やっと色々進展しそうです。
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