「幻想即興曲」
ツナはそれを、情熱的に、かつ細やかな旋律を完璧に弾きこなしていた。一つの漏れもなく。
一瞬にして、その場が華やぎ、広間に居る来客達も、ざわめき始めた。
どこからか聞こえる、この素晴らしいピアノは一体、誰が弾いているのかとー…。
少しざわめいた後は、ただただ、感嘆の息を漏らすばかりだった。
ーもっともっと、奏でていたい。弾きたいー!
何かに取り付かれたように、指が鍵盤の上を今にもバラバラになりそうなくらい、踊っていた。
あまりにも衝撃的な音色に、3人は息をのんだ。
奥のピアノで弾かせて、正解だった。だが、ルリだけはそう思っていなかった。
自分ではないものが注目を集め、賛美されるなんてとんでもない話だ。
忌々しげに、音を奏でている主を睨むと、ぶすっとした顔で、扇子を仰ぎ始めた。
もう彼女は、ツナのピアノなんてどうでもいいのだ。
ただ、ただ、面白くないー

演奏が終わると、広間から、盛大な拍手が聞こえてきた。裏に居ても、物凄い音だ。

「ブラボー!」

いつまで立っても鳴り止まない。そう。拍手が鳴り止まないくらいの演奏。
それは、ディーノとの約束ー
『拍手が鳴り止まないくらいの演奏を、必ずさせると約束する。ー…でも、ツナ』
ああ、この後、彼は何と言っただろうかー
そうだ、確かー

『もし、本当に舞踏会の夜、成功を収めたらー…一つ、オレの願いを聞いて欲しい』

一体、何なのだろうー
ツナはぼんやりと、考えながら、震える指を見つめていた。
ああ、できたんだー。これで、終わったんだー。と、やっと安堵の息を漏らした。

「…やはり君は…素晴らしい」

魂が抜けたまま、口だけを動かしているモチダに、軽く会釈をし、ツナは扉の方を見つめた。
演奏を済ませたのだから、一刻も早く去りたかった。
ルリがいつ、攻撃的なことを言うかも分からないし、モチダと長い時間を過ごしたくなかった。
それは、自分の正体がバレてしまうという恐れからであった。
キョウコは、それに気がついた。

「あ、あのー…モチダさん。何かシャンパンでも、持ってきてくださらない?
お疲れみたい…」
「あ、ああ。そうだな。気が利かなくて申し訳ない。−…ルリ」

キョウコと二人の方が、気が休まるのだ、という事を察知したモチダは、広間に出た。
たちまち彼等は、来客達に囲まれて、先ほどの演奏についてガヤガヤと言われたが、
それも全て流しながら、シャンパンのある方へ向かった。
グラスを持とうとするが、すぐに盆を探し始める。
見つからずに、仕方なく、使用人を予防とした、その時。
ルリが面白く無さそうに、呟いた。

「−…何よ、あんな演奏。どうってことないわー…」
「…侮辱は許さないと、言ったはずだ」
「!!本当のことよ!以前聞いた、あの女性のノクターンったら、ツナが弾いているのとそっくりだったのよ!
たいしたもんじゃないわ…」

妹がキンキンした声で吐き出した言葉は、モチダの動きを止めさせるのに十分だった。

「−…何だと?」
「私、聴いたのよ!サワダのノクターンを!あいつの家に行った時!聞こえたのよ!
貴族でも無いのにって、怒ってやったわ。ー…そして、あの女性が奏でる音色に、そっくりだった。
あんな音…そうそう出せやしないわ」

ルリは悔しそうに、呟いた。彼女は心では、女性のピアノの実力は分かっていた。
あんな音が出せる人間は、簡単には見つからない。
しかしそれを認めたくなかったのだ。
モチダは危うく、シャンパンを落としそうになった。
彼の中で、様々な謎が、一つに繋がったのだ。


何故、ツナはピアノを弾けない振りをしたのか。
何故、女性は声を出さないのか。また、仮面を外さないのか。
何故、あのような素晴らしい女性が、シュウのような男の恋人なのか。

何故ー


(あの、女性は……?)


もしかしたら。

ーいや、きっと。

そうに違いない、という思いと、そんな馬鹿なことがあるか、という信じられない思いが、
モチダの中でせめぎあっていた。
シャンパンを置いて、モチダは女性の居る舞台裏へ駆け出した。
バタバタと走って、着いた時には、もう女性の姿は見えない
悔しそうに舌打ちをしたが、外に通じる扉が微かに開いているのが見え、
モチダは勢い良く、扉から出て行った。
全速力で疾走すると、すぐ前に、あの女性が見えた。
女性も、モチダが追いかけているのに気がつき、慌てて逃げようとしたが、遅かった。
モチダの庭にある、大きな噴水の前で、モチダは女性を捕まえた。
綺麗な水面が揺れ、空には星が瞬いていたが、二人共、ロマンを語っている場合ではなかった。
モチダは女性の手を掴んだまま、離さない。
跪き、その手にキスを落とすと、女性は驚いたように、手を引っ込めようとした。
しかしそれは、モチダが許さなかった。

「−…素晴らしかった。ピアノも勿論、だがー…オレは君ほどの素晴らしい女性を、見た事が無い」
「………−………」
「……君は一体、誰なんだ?」
「!!」

まずい、まずいー…!
頭の中で、危険信号がチカチカと光り出し、ツナはモチダに握られている手を、引っ込めた。
そのまま背を向け、逃げようとするが、勿論、モチダも追ってくる。
靴を脱ぎ捨て、ツナは全速力で走った。
フワフワとした純白のドレスが足に纏わりついて、ツナが速度を出すのを邪魔をする。
それでも無我夢中で走って、走って、−…此処はもう、何処なのだろう…。
どうだろうー、モチダは追いついて来ているのだろうかー…、

と、後ろを振り返った瞬間、仮面が顔を離れ、地面に落ちてしまった。

「−…っやば…、」

「ツナ」としての顔を見せたその一瞬 − 後ろを追ってきていたモチダと、目が合ってしまった。
モチダは、目を瞠った。
怪しいところが、多すぎるー。もしかしたら、と、思っていた。
もしかしたら、ツナが、自分の焦がれている女性なのではーと。
しかし、全てを信じている訳ではなかった。
そんな訳はないだろう、と、そう思っていたのだ。
それが、今、見た一瞬の顔は。美しく化粧された顔、だったが。あれは確かに…

「−…………、サワ、ダ…?」

呆然としたまま、モチダは止まってしまった。
ツナはそのまま、走り続ける。
しかし、その一瞬後、目に留まるか留まらないか、ぐらいの速さで
何か黒い物が横切ったかと思うと、あの女性が、夜の道から姿を消したのだ。

「!?」

モチダは驚き、漸く走り出した。

「ー……何が起こったー…?」


もう、女性ー…ツナの姿は、跡形も無く、消えていた。






ばれました(焦らした結果アッサリと)
そしてツナが居なくなりました。

あ、あれ。ディーノさんが今回一回も出てなかった…!汗


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