部屋を出ると、すぐに無表情のメイド・ユエが会釈をして、ツナを部屋まで導いてくれた。 どこまでも続きそうな、赤い絨毯の廊下をゆっくりと歩いていく。 恐ろしい牙を剥き出しにして、鬼のような角を持った、爪の長い怪物の銅像が何体も何体も、続いていた。 夜中に此処を歩いたら、恐くて仕方がないだろう。 「……ディーノさんの家族とかは…いるんですか?」 「おりません」 「ー…そ、なんですか……」 確かに、このメイド以外に、人の気配はしない。 屋敷の空気全体を、寂しさが包んでいるような感じがした。 薄暗く、ひっそりと、ひっそりと…… ツナの歩く速さが落ち、瞳を下に向けていると、ユエが急に立ち止まり、ゆっくりと振り返った。 「−……かわいそうに。街に、帰りたいでしょう?こんな所に、居たくはないのでしょう?」 ツナは思わず、愕然としてしまった。 ディーノが、主であるこの屋敷で仕える使用人の口から、「こんな所」とはー 違和感を、感じたのだ。 トシロウの所では、あんなに使用人が主を慕っていたものなのに。 なのに。 「化物、なのですよ。あの方のお顔を、私は見てしまった。貴方は、決して見ようとはしない方がいい」 震え出した。女は徐々に、しかし確実に、ガタガタと、肩を揺らし出した。 無表情のままで。 すると、また背を向けて歩き出した。 まさか、この屋敷でも「化物」という単語を聞くとは思わなかった。 寄りにも寄って、彼本人の棲家で、彼に向ける酷い言葉を聞くことになろうとは、思ってもみなかった。 「−……代々、このお屋敷で働いております。母はもういないし、父もいない。 一人で生きていくしかない。此処から、逃げ出したいのに、此処以外、結局働くところなんてない。 仕事がある者は、いい方ー…」 街は貴族ばかり、いい思いをしているから、身分の低いものは、厳しい暮らしだった。 仕事がある者は、まだいい方ー…。確かに、その通りだった。 貧弱な身体をしている自分を、よくも雇ってくれる所があったものだと、ツナは今更ながらに不思議に思った。 煙突掃除、皿洗いー、確かに、忙しかったが、どうして皆、雇ってくれたのだろうか。 ふっと、疑問が頭が過ぎったが、ユエが話しを続けたので、それは何処かへと消えてしまった。 「私が居ても居なくても、彼は特に何も言わないけれど。…一度逃げ出して戻った時も、そうだった。 …本当は今だって逃げ出したい。でも、此処にいれば、食べられるのだからー…」 「……ディーノさんが、何か酷いことを?」 「…して、いないわ。”今”は半分、高貴で綺麗な、王子様の皮を被っているけれど。 そう。半分の顔は、誰が見ても、この世のものとは思えない美しさー…だ、けれど。 ああ、貴方にだって、今に分かります」 朝居た部屋の扉の前まで来ると、ユエはその扉を開けた。 「ご用心を」と一言だけ、ツナに告げると、扉を閉めた。 訳が、分からなかった。 ディーノは何も、していないと言っていた。 しかし彼女は、顔だけで、この屋敷に居るのを、心底嫌がっていた。 あそこまで絶望させるなんて、よほどのものなのだろうと思う。 確かに、正直、「此処から出すことはできない」と言われた時、少しー… (こわ、かった…) しかし あの噴水の広場で、支えてくれたディーノを、自分は良く知っているはずだ。 柔らかなベッドに腰掛け、目覚める時に耳にした、サルがシンバルを叩くオルゴールの螺子を巻くと、 早速シンバルを叩きながら、繊細にメロディーを奏でてくれた。 コトン、と、小さなテーブルの上に置くと、今度は扉が鳴り出した。 「−…ツナ?オレだ」 「………ディーノさん…」 すぐにベッドから降り、扉に駆け寄った。 金色のドアノブに触れ、扉を開けると、そこには、頭に思い描いたとおりの人物が待っていた。 大きく開け、中に入れると、ほんの少し、瞳の奥が穏やかに揺れた。 ツナの手をそっと引き、ふんわりとしたベッドに一緒に座ると、ギシっと、スプリングの音と共に白いシーツが沈む。 自分を見ようとしないツナに、ディーノの心は酷く痛んだ。 きっと、仮面を取った後も、ツナは俯いてしまうのだろう。 だが優しい彼は、酷い言葉で罵ったりはしない。それは容易に想像できる。 ただただ、瞳を見開き、恐怖を示した後、俯いてしまうのだろう。 「…………ツナ」 呼ぶと、やっと、ディーノに視線を向けてくれる。 ディーノはうっすらと微笑み、ツナがしたように、瞳を落とした。 「−……あ、…」 ショックだった。 ディーノにこんな顔をさせてしまったこと。 ツナは戸惑い、ディーノの顔を覗き込んだ。 ディーノは微かに唇を上げると、ツナに向かって、微笑みかけた。 ツナが何と言っていいのか分からずにいることは、ディーノにはお見通し、だったようだ。 ツナの額に、軽く唇を押し当てると、慣れていないツナは弾けたように顔を上げる。 「………ごめんな。今はオレと、話したくない、…よな」 「………!」 「部屋を出て、左側の突き当たりには図書室。退屈なら、そこへ行くといい。 下にはメイドが居るから、腹が減ったら食べたいもの、何でも言ってくれ」 「−…ディーノさん……」 「他も、屋敷の中なら自由に動き回ってくれて構わない」 ディーノがベッドから立ち上がると、再びそこは揺れ、沈んだシーツが、少し浮き上がるのを感じた。 ツナに背を向け、ゆっくりと、扉へ向かう。 全身、黒で統一されているディーノの背中には、更なる影が被さっているようだった。 あまりにも、その背が寂しそうで。 居た堪れずに、ツナもベッドから立ち上がり、急いでディーノの後を追った。 あと一瞬後には、金のドアノブに触れる、というところで、ツナはディーノの背に抱きついた。 「−…………ツナ?」 大層、驚いた様子のディーノは、完全に後ろを振り返ることもできずに、 首だけを動かし、ツナの存在を瞳に映していた。 「………ごめ、…ごめんなさい…!」 「−…うん?」 「オレ…−…此処に、居ます。ディーノさんと、一緒に」 言葉が上手く出ないのか、途切れ途切れに、か細い声で告げると、 ディーノもすぐに、言葉が出ないようであった。 背中越しに感じる、ツナの体温と、自分の腹の辺りに回された手。 暖かく、柔らかいそれは、自分の欲している人のものだと思うだけで、胸が熱くなった。 閉じ込めるだなんて、本当に化物のすることではないかと、理性は止めるのに、 それでも欲しいと思う心は強すぎて、どうにもならない所まできていた。 身体にしがみついているツナの腕をやんわりと解くと、振り返り、ツナを抱きしめた。 強い力で抱きしめられても、ツナは何も言わずに、あやすように、背を数回、撫でただけだった。 「サワダ」と例の「女性」が姿を消してからというもの、兄は度々、何処か遠い目をするようになった。 ルリはそう感じていた。 結局あの女性の素顔も見れなかった。兄はあの晩、どうだったのか。 それを聞いても、何も答えてはくれなかったのだ。 「……ねえ、お兄様。あの女性のことなんて、もうお忘れになったら?」 窓際で、ぼうっと佇む兄を見て、イライラした様子でルリが声をかけた。 しかしモチダは何も答えずに、窓の外を見ているだけだった。 忘れられるはずもなかった。 あの仮面の下は、自分の良く知る、貧しい家の男だったのだから。 (どこに消えた……!) 何故、あんな真似をしたのか。 それはもう、理解していた。 シュウはただ、見栄を張っただけで、本当はピアノの弾ける恋人なんていない、と白状したし、 ルリが、シュウに「兄とあの女性を会わせてやれ」と言ったらしいのだ。 それに加え、報酬も与えてたらしい。 ツナはきっと、あの父親に命じられるままに、したことなのだろう。 だが、どうして、消えたのか。 あの晩、横切った黒い影は何だったのか。 とにかく、もう一度ツナに会って、直接話をしなければならない。 そう感じていた。 モチダは必死に、捜索を続けた。 家来達も皆、モチダに命じられるままに、ツナを捜していた。 しかし、一向に手掛かりが見つからないのだ。 何者に連れ去られたのか、それとも自主的に何処かへ行ったのかー 何も分からぬまま、時は過ぎていった。 とにかく、捜して、捜して、捜して。 ひたすらに、捜していた。 そんなある日のことだ。 部屋の前に、黒い薔薇の花弁が乗った、一通の封筒が置いてあったのを発見した。 |
ディーノさん、ヨカッタネ!
でもこれからがまた彼にとってはちょっと辛い感じです
モチダも久しぶりでした(笑)
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