黒い薔薇と聞いて、思い浮かべたのが、街の化物ーファントムのことであった。
街の人々が彼を挑発した時のことだ。
あの時、街の人々を傷つけたのは、黒い薔薇の花弁であった。それを、モチダも耳にしていたのだ。
封筒を拾い上げると、ひらりと、花弁は床に落ちていった。


『捜している人物は 保護している。
今日からは安心して、眠りにつくといい。
1度目の警告をしよう。
これ以上詮索を続けるのなら、君の安全は保障しない。

追記
君の許の煩い雀は、黙らせた方が良い。
あれは、音楽を愛する者としても、一個人としても、目障りでしかない。

いつでも住民の幸せを願う
この街の忠実なるしもべ VF より。』



モチダは言葉を失った。
ツナを連れ去ったのは、ー間違いない。ヴィリカのファントムなのだ。
力を込めて、手紙を握りつぶすと、家臣達を集め、捜索を続けるように言った。
彼を捜すのを、諦められる訳が無かった。










ツナの指が、止まった。
部屋に居る時は大体、ピアノに向かっている。そしていつも、同じ所でつっかえてしまうのだ。
またやってしまった、と肩を下げるが、もう一度指を鍵盤の上で踊らせようとした。

「…指使い」
「わ!!」

背後からひっそりと、低い声が聞こえて、ツナは慌てて後を振り返った。
すると、相変わらず黒のトーンで全身を統一されたディーノが立っている。
半分の、仮面を付けて、ふんわりと微笑むと、ツナがつっかえた部分を、片手でサラリと弾いてのけた。
指使いのせいで、つっかえていることはツナ自身分かっているが、中々、うまくいかない。
もしもつっかからなく弾けたとしても、ディーノのように音を奏でることは、自分には不可能だと思った。

「−…ディーノさんって、弟子とかいないんですか?」
「弟子?はは。弟子なんかいねぇよ」

ディーノは声を出して笑った。しかし、ツナは至って真剣であった。
もしも大勢の前で彼がピアノを演奏すれば、きっと、たちまち有名になるだろうし、
それで食べていくことも十分に可能なはずだ。「弟子にしてくれ」という人間だって後を絶たないだろう。
それほど、ディーノのピアノは素晴らしいものだった。
一回聞けば、忘れられなくなる。
ツナは、勿体無いーと思った。

「…ディーノさんのピアノ、聴きたい」
「ん。いいぜ。何がいい?」
「…何でも」

そうしてディーノが弾いたのは、やはりショパンだった。
英雄ポロネーズを、最高に広大に、素晴らしく格好よく、弾いている。
どうしたらこんなに、誇りを持った音楽にできるのか、どうしてこんなに響く音を出せるのかー
ツナはもはや、ディーノのピアノの虜だった。
うっとりと、瞳は今にも蕩け出しそうだった。
弾ききったディーノが、ゆっくりと視線を上げると、再び、微笑んだ。

「オレが教えるのは、ツナだけ」

他には何人たりとも、自分の音楽を与えたりはしない。ツナにだけ、与えるのだと言い切った。
勿体無いーと思いつつも、ツナの胸には確かに、喜びの感情が湧き上がっていた。
こんなにも素晴らしい音楽を、自分一人に与えてくれるディーノに、感謝したい気持ちで一杯だった。

「−…ツナ。お前が望むなら、高みへ導いてやる」

本当に、ディーノから与えられたなら、どんなに素晴らしい音を出せることになるだろう。
考えただけで、胸は躍る。

「…此処に来たこと、後悔してないか?」
「!!ー…っ、し、してません…!」

ああ、だからなのか。時折聞こえる、悲しげな曲。あれは、屋敷全体を包んでいるようだった。
ディーノは自分が、この屋敷に閉じ込められ、それを許したことを、心底後悔していると思っているのだ。
確かに、街が恋しい時はあるが、後悔はしていない。
自ら、決めたことなのだ。
ツナが必死に首を振り、必死で誤解を解こうとしていると、ディーノは安心したように目を細めた。

「…良かった。…あいつはまだ、ツナを捜してる」
「ー…、あい、つ…?」
「モチダ。ー……邪魔だな」

一瞬にして変わったディーノの表情には、凄まじいものがあり、ー…殺気に満ちていた。
ツナの胸に、恐怖と不安が入り混じったようなものが広がった。
ディーノの瞳の奥に宿る炎は、果てしない恐怖を感じさせるものがある。
それが時折、ツナには恐ろしかった。
そして、そしてモチダにも謝らなければならない。
彼には随分、酷いことをしてしまったのだから。

「−……ツナ。あいつの事は考えるな」

ディーノはどこからか、丸く、光り輝く飾りのついたリングを取り出すと、ツナの手に優しく触れた。
その輝きに目を奪われ、そして、まだ家にいる時の習慣が抜けない自分に気がついた。
高価な物だというのは、分かる。これで、どのくらいのパンが買えて、どのくらいの野菜が手に入るのだろうかと、
ついつい考えてしまうのだ。

(−…父さん、ちゃんと食べてるのかな)

ディーノが少し、力を込めると、ツナの視線は漸くディーノに戻った。
左手の薬指。
もう少しで、指輪をはめられそうだが、ディーノはまだ、それをしない。

「音楽も。オレの全てを与える証に。−……ツナが此処に、居てくれるなら」
「…ここに、います」

前にも、言ったけれど。と、ツナが微かに笑うと、ディーノも漸く、微笑んだ。
薬指にそうっと、指輪をはめるとディーノはツナの前に跪き、手に軽くキスを落とした。
もしもこれで、ツナを自分の側に、ずっと縛って置けるのなら、どんなに良いだろう。
これが、愛の誓いだったなら。
しかし残念なことに、これはそういうことではないのだ。
けれど、少なくとも、何もないよりは、ツナを繋ぎ止めておけるー
ディーノはそう思った。
こんなもの無くとも、ツナが勝手に逃げ出したりしないことは分かっている。
だが、どうにも不安で、眠れない夜は続き、ピアノを奏でても、切ない曲ばかり。
ツナの下で、長く跪いているディーノを気にして、ツナは自分もしゃがみこんだ。

「…ディーノさん、眠れないんですか?」
「ん?」
「夜になると、ピアノ、聞こえてくるから」

そして決まって、切ない曲だった。
何度も、ディーノの部屋に行こうと思ったのだが、その度、道に迷ってしまうのだ。
この屋敷の広さは、半端なものではなかった。

「ああ、まあ…寝つき、悪くてな。悪い、煩かったか?」
「−…や、それは全然…。−…でも、今夜ディーノさんの部屋、行っても」

いいですか。

と、軽く首を傾げたツナに、ディーノは目を丸くさせ、ポカンとしてしまった。
耳を疑ってしまった。
次の瞬間には、鼓動の具合がおかしくなった。
何も答えないディーノを見たツナは、うろたえ始め、少し頬を染めながら俯いた。

「そ、その、−…オレも、眠れなくて。ディーノさんの家、広いから」

ー恐いのか、それとも慣れない家に緊張しているのか。
とにかくツナも眠れないらしい。
一緒に寝ちゃ駄目ですか、と聞く彼は、殺人的に愛らしい。








ツナが何やらあぶなっかしいことを
ディーノさんだって漢なんだ…!狼なんだ…!

というか いきなり婚約しとる ワ…!(ち ちが…)




NEXT→

←BACK

小説へ戻る