暗い、暗い闇が終わり、朝の光が入ってくる。しかし、やはりこの屋敷は何処か闇が漂っていた。 辛い夜が終わり、ー…ほとんど、1睡も出来ない状態だったがー、瞳に映るのは、ツナの安らかな寝顔であった。 すぅすぅと、寝息を立てている。 前髪に、ほんの少し、軽く触れると、少し口許が上がったような気がして、心が和やかになる。 こんなにも優しい世界が迎えてくれる朝は、味わったことがない。 ベッドから降り、朝食を持ってこさせようと、部屋を去った。 ツナが目覚めたのはその直後であった。 「んん……?」 久々に、ぐっすりと眠れた。ぼんやりと目を覚まし、上半身を起こす。 欠伸を一つすると、大きく伸びをした。 記憶を辿り、ディーノと一緒のはずだということ思い出す。が、ディーノの姿は無い。 瞳を動かし、ディーノを捜すが、見当たらない。 (………?) その時、コンコンと、扉が軽く、叩かれた。 「ディーノさん?」 何だか不安になってしまい、思わずそう答えていた。 すると、扉の向こうからは、感情の読めない女性の、物静かな声が聞こえてきた。 ユエであった。 恥ずかしさに頬を染め、「どうぞ」とツナが言うと、ユエは表情を一切崩さず、部屋に入ってきた。 朝食のワゴンを引きながら。 「朝食のご用意ができましたので、持って参りました」 「あ、……どうも。ディーノさん、知りませんか?」 「存じません。……一緒に寝られたのではないのですか?」 「そ、そうですけど…。起きたら、いなくって……」 「ー……まあ。具合が宜しくなかったのでは?」 「?具合?ディーノさん、調子悪いんですか?」 「貴方のこと、ですわ」 「…オレ…?どこも、悪くないんですけど」 ユエは呆れたように一つ溜め息を零すと、それ以上は詳しく語らなかった。 ツナはツナで、まあいいやと、流していた。 「今までは、女の方だったのに。趣向変えされたのかしら…」 「へ?」 「いいえ。…コーヒーと紅茶、どっちになさいますか?」 「えーと…じゃあ、紅茶で」 紅茶なんて、家では滅多に飲めなかった。いつも、水であった。 ディーノのところに来てからは、度々、口にしたが、今まで飲んだどのお茶よりも美味しいと感じていた。 ツナがワゴンの上をぼんやり見ていると、静かに扉が開かれ、ディーノが中に入ってきた。 「デイーノさん!どこ行ってたんですか?」 「いや、下に朝食を頼みにー…ああ、もう持ってきてたのか」 テキパキと、準備をこなしながら、ユエはポツリと呟いた。 「……今朝、街に行きました。モチダ様は親類の家臣達も集めて、捜すそうです」 「……本当、邪魔な男だな」 ソファーの前のテーブルに、すっかり朝食の準備が整うと、ユエは一礼して、部屋を出て行ってしまった。 ディーノはというと、酷く冷たい表情をしていて、ツナは何だか、声をかけるタイミングというものを失ってしまった。 それでもベッドから飛び降り、ディーノの側に寄ると、気になって仕方がない、というように、ディーノに問いかけた。 「……モチダさん、そんなに捜しているんですか……」 「−……気にすんな。腹、減ってるだろ?」 食えよ、と、ツナをソファーに促すと、ツナは素直に、そこに座ることにした。 ディーノもすぐに、腰掛ける。 朝食の間中、モチダの話題は一言も出なかったし、ツナもなるたけ、そのことには触れないように心がけた。 頭の中で木霊する、ディーノの言葉が、恐ろしかったのだ。 ー『邪魔な男だ』 これを言った時の彼の瞳が、恐ろしくて、堪らなかったのだ。 モチダ邸では、小さなパーティーが開かれていた。 モチダは全く、そんな気分ではなかったし、優雅な音楽や、女達のお喋りに時間を割くほど暇でもなかった。 しかし、パーティー好きのルリが、仲の良い貴族の連中を集めたのだ。 是非にと妹にせがまれ、渋々OKを出したは良いものの、頭は違うことに意識がいっていた。 勿論、消えたツナのこと、そして、あの女性ー…。 あの女性はツナなのだが、それでも、まだ僅かに信じられない気持ちがあったのだ。 そして、ヴィリカのファントム。 「ねえ、モチダ様。体調が優れないのかしら?」 「さっきから、だんまりで」 「私達のお相手は、退屈かしら」 心ここにあらず、と言った調子のモチダに、ルリの友人達は口々に言った。 「もう、お兄様ったら!失礼じゃないこと?いいわ。あちらで、ピアノでも聴かせて頂戴」 部屋を去ろうと、ルリが立ち上がる。女達も次々に立ち上がり、部屋を出ようとする。 モチダも仕方なく立ち上がり、部屋の扉を開けた瞬間だった。 凄まじい音が、部屋中に広がった。 皆が驚いて後ろを向くと、無残にも、立派なシャンデリアが砕け散っていた。 言葉を失い、モチダがそのシャンデリアに近づくと、上から、ヒラリと、黒い薔薇が降ってきた。 驚いて上を見るが、誰もいない。 黒い薔薇には、黒いリボンが巻かれており、モチダが触れると、それは鋭利な刃物のようになって、モチダの手を傷つけた。 「−……っ」 自分の手から流れ出る、真っ赤な血。 こんなことが出来るのは、あの、化物くらいだ。 ぎりっと奥歯を噛み締め、今度こそ捕らえてやると、強く強く、心の中で思った。 そして、ツナを見つけ出すのだと。 モチダ邸のシャンデリアが落下し、彼の手に怪我を負ったという噂は、たちまち街中に広まった。 街に頻繁に入り込むユエも、その噂は容易く耳に入り、やがてツナの耳にも入ることとなった。 「……モチダさんが!?」 「ー………あら、ご存知なのですか?モチダ様を」 「は、はい…」 部屋に花を飾りにきたユエは、花瓶に薔薇を挿しながら、話しを続ける。 「有名ですものね」 「……とても。シャンデリアが落ちたって、そんな事故初めて聞きました」 「事故じゃなく、あの方の仕業に、決まっているでしょう」 「−……え…?」 「モチダ様は、ディーノ様を憎んでいる。ディーノ様も、モチダ様を憎んでいる。お分かりかしら」 淡々と話す。 それは確かに、モチダは街を愛してるし、だからきっと、「ファントム」であるディーノが、街に害を及ぼすものだと思っているに違いない。ディーノも、そんな風に思うモチダを、良くは思ってはいないだろう。 しかし。 「………でも」 「冷酷よ、あの方は。いつかモチダ様は、殺されるのでしょうね」 「冷酷……?」 「まだお分かりでないのかしら?あの方の瞳を、ご存知じゃない?」 ツナは、ギクリとした。思い出すだけで、ゾクリとする、あの瞳。 デイーノが時折、見せた、あの、一瞬で凍ってしまいそうな、あの瞳は、確かに、ユエの言う、冷酷なものだった。 認めたくはないが。 「もう一つ。シャンデリアでは大した怪我はなかったけれど、その次の夜、彼は右肩に怪我を負ったんだそうよ」 「…どうして?」 「ー……彼が、寝ている間に。化物が、入ったんですって。その化物は、モチダ様に、忠告を。 ”もう捜すな”と。けれど、彼は断った。だから、右肩を刺された」 「…その、化物、って…」 「お分かりでしょう?”ファントム”。モチダ様のベッドの上には、夥しいほどの、黒い薔薇の花弁。 そして、ファントムからの警告の手紙」 「……ファントムを名乗った、別の誰かかもしれない」 「有り得ない、ですわ。モチダ様は、武道の心得も。そうそう、彼に怪我を負わせられる者はいない」 確かに、その、通りだった。 何よりも、ぞっとするほどの、ディーノの瞳や空気が、思い出されてしまって。 (………どうしよう、どうしたら) モチダは殺されてしまうのだろうか。 本当に自分は、此処に居ていいのだろうか。 そして、何よりも。 (ディーノさんが、恐い……!) 手がカタカタと震え出し、止まってくれない。 日に日に強まっていく恐怖は、もう、どうしようもなかった。 |
ツナがディーノに恐怖を強く感じ始めてしまいました…
ディーノさんかわいそうになってきてしまいますが、これからがもっとかわいそうになります<痛
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