モチダはとにかく頻繁に家を空けた。
彼がどれだけ忙しい人間なのかを、使用人達は皆知っていたが、ツナだけは知らなかった。
金持ちが忙しいというのも、あまり想像がつかなかったのだ。
パタパタと、使用人達も各々の仕事で忙しそうである。
一人、窓を磨いている使用人に近づくと、ツナは声を掛けた。

「モチダさんは出かけたんですか?」
「ええ。忙しい方だから……」

キュ、キュ、と音を出して大きな窓を磨く。
たちまちピカピカになっていく窓を見つめながら、ツナは続けて、疑問を口にした。

「昨日も、ー…凄く遅かったみたいですけど、いつもあのくらいに…?」
「そうねえ、忙しい時は、ね。この家はあの方に守られていると言ってもいいわ。
私達が働けるのも、全てあの方のおかげよ」

目を輝かせて言った女性の言葉は、真実のようだ。本当に、モチダに感謝している。
そしてこの家の使用人皆が、そうなのだ。
優しく強く、頼りになるーあのルリが慕うのも、理解が出来た。
ツナは、自分も絶対にこの恩を忘れまいと思った。
モチダがいなかったら、のたれ死んでいるところだった。

(これから精一杯、恩返ししなきゃな……)

仕事に行く前に、彼女の窓拭きを手伝い、ピカピカに仕上げた後、ツナは屋敷を出た。





空は闇に包まれた。
大分遅くなってしまい、屋敷に戻ったが、モチダはまだ帰ってきていないようだった。
夕飯を出されたが、−モチダが気になって、少しの間、席で待っていた。
少し、少しー、あと、少しだけーと、そうしているうちに、時計の針はどんどん進み、やがて長針と短針が重なり、
日付が変わってしまった。
うとうととしかけ、あやうく冷めたスープに顔を突っ込みそうになってしまった。
ハっと顔を上げ、首を横に振る。
もしかしたらどこかに泊まってくるのだろうかーなどと思っていると、扉が開く音がした。

「−……お前、−…?」
「あ、−……」

漆黒の髪は少しだが濡れていて、ツナが急いで席を立ち、タオルを持ってくると、モチダは素直に受け取った。
どうやら、外は雨が降っているらしかった。
今朝磨いた窓からは、闇が隠してしまって何も見えないが、音だけはしっかりと聞こえていた。

「…………」

モチダはツナの、手の付けられていない夕飯を見て、どうやら気がついたらしかった。
自分を待っていたのだと、言うことをー。
けれど、それを口にするのは抵抗があって、中々、何も言えないで居ると、やがて、ツナはコクリ、コクリ、
と頭を揺らし始めた。

「−…もう休め」

消えてしまいそうな声で、ハイ…と返事をしたかと思うと、ツナの動きが止まった。
瞳を閉じたまま、動かずに、ただ、寝息だけを立てている。
モチダはタオルを椅子に掛け、ツナの側に寄ると、そうっと手を伸ばした。
ふわりとした茶色い髪の毛に、軽く指を絡ませると、子供にやるように、静かに頭を撫でた。

「−…ダメツナは、撤回だな」


自分が彼に感じる魅力は、計り知れないものがある。
心に湧き上がる熱いものは、確かに、あの女性に感じた時のものと同じであってー
モチダはそっと、眠るツナの唇にキスを落とした。
きっと、知るほどに夢中になっていくのだろうと、モチダは確信していた。
あの女性に感じた以上の気持ちが芽生えるだろうということも、確信していた。
眠りに付き、目が覚めたら消えてしまうような、淡いものではない。
はっきりと、強く鮮やかに、胸に焼き付いているそれは、モチダの心を高鳴らせていた。





(ここはどこだろうー…)

目が覚め、ぼんやりと天井を見上げたが、ベッドに入った記憶がない。
ツナはむくりと起き上がり、こめかみの辺りを押さえ、記憶を辿る。
昨日ー昨日はモチダを待っていてーそれから、それからどうしたのだろう。

(あ、オレー…寝ちゃったんだ…!)

漸く気がつき、アタフタと慌てて部屋を出る。
きっと、ベッドに入れてくれたのもモチダなのだろう。
謝って、そしてお礼を言わなければならない。何段も何段もある大理石の階段を駆け下り、下に向かった。
しかし、モチダの姿は見えない。
きょろりと、ツナが瞳を動かすと、コツコツというヒールの音と共に、華やかな話し声が聞こえてきた。

「ツナ君!」
「−…キョウコちゃん!」

ルリと共に居たキョウコは、すぐに彼女の側を離れて、ツナの側に駆け寄った。
心底嬉しそうな瞳でもって、ツナを見つめると、ほっと胸を撫で下ろした。

「良かった…!ファントムに攫われたって聞いた時は、心配したけど…無事で…」

本当に良かった…、と今にも泣きそうになっているキョウコを見て、ツナも思わず、涙ぐんでしまいそうになった。
こんなに心配してくれている人が、自分にも居たのだと…。
それが嬉しかった。

「心配かけて、ごめん。でも、皆が言ってるファントムとはー…」
「キョウコったら!大げさなのよ!」

ディーノは優しい人だと、ツナが口にする前に、ルリが高い声でツナの言葉を遮った。
その後もルリの言葉は続き、「この下賎な者が家のような立派な屋敷に居るなんて!」という言葉で締めくくった。
キョウコは困ったような呆れたような顔でルリを見て溜め息を吐いていたが、やがてツナと視線を交わすと、
くすりと微笑んだ。

「−…ツナ君、でも…気をつけてね。モチダさんだって、怪我を負ったのだし…」
「−……本当にそれって、”化物”の仕業なの?」
「ええ。モチダさんも見ているし…。白い仮面に、黒い外套。醜い顔までは見えなかったらしいけれど…恐ろしいわ」


ツナは、黙ってしまった。
キョウコと一緒に恐ろしいということなんて勿論、できないが、モチダの怪我の件に関して、反論などできなかった。
ツナが黙って俯いていると、ルリは強引にキョウコを連れて、行ってしまった。
どうやらまだ、ヴィリカの街はこの噂で持ちきりのようだった。
自分が攫われたことと、モチダが怪我を負ったことが、それに拍車をかけているのだ。

(もうディーノさんに、会わない方がいいのかもしれない…)

そうすることで、噂が落ち着くのならー
そう思いもしたが、モチダとディーノが互いに憎みあっている以上、例え自分が会わなくなったところで
あまり変わりもしなさそうだ。
ツナは、ディーノの事が心配で心配でならなかった。
あの、果てのない孤独と闇を宿した瞳が、今はどんなになってしまっているのだろうかとー心配だった。
仕事をしている最中でも、それが頭を離れずにいた。
この街の住人は噂話が大の好物だ。
ツナは仕事先の人間達がしている噂話を、今日はうっかり耳に入れてしまった。
「ファントム」の話であった。
恐ろしい、醜い、化物、−…飛び交う酷い言葉達に、ツナが堪らず「違う」と口にしたら、とてもおかしな目で見られてしまった。
仕事が終わり、月がぼんやりと出ている頃はもう、全くと言っていいほど人気がなかった。
そしてそれは恐らく、確実にー、「ファントム」のせいなのだろう。

ツナは悲しくて仕方がなかった。ディーノが心配で、仕方が無かった。
月を見つめ、とぼとぼと、ツナはある場所に向かった。
それは、ディーノと初めて言葉を交わし、それからも、そこで言葉を交わし続けた場所ー。
噴水の広場だった。
ずっと、−ずっと支えだった。ディーノが、ずっと支えてくれていた。
ツナはストンと、いつもの場所に腰を掛ける。

上を見つめーディーノの声を、思い出していた。


「−……ディーノさん…」
「……オレに、会いに来てくれたのか?」


呟いた言葉の次に聞こえたのは、紛れもなく、今、思い浮かべていた声であった。
はっと上を見上げるが、勿論、屋根に阻まれて、その姿は見えない。
けれど、ディーノは確かに、此処にいるのだ。






やっと再会でけた…。
というかモチダがチューしやがった…!
この分だとベッドに下ろした時にもう一度くらいしているはずだよ…
ディーノさんに殺されるからヤメテヨ…



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