モチダ邸に着いたのは、随分遅く。 とっぷりと暗くなったところから、扉を開ければ煌びやかな世界が見える。 静かに扉を開けたツナだったが、そこで待っていたのは数人の召使いとモチダであった。 皆、一斉に、ツナを見る。 「な、何かあったんですか」 「−……寝る」 きょとりとしてモチダを見るが、モチダは何も言わずに、ツナに背を向けた。 幅の広い、大理石の階段を少し荒々しく上って行くのが見える。 彼にしては、何だか珍しい。 状況が理解できなくて、近くに居るメイドに視線で問いかけると、彼女はひょいと肩を上げて微笑んだ。 「貴方の帰りが遅いから、また攫われたのではないかって心配なさってたのよ」 「お、オレ…?」 「良かったわ、無事で」 コックに食事を頼むから、席に着いていてー、と、メイドは優しげに告げた。 ツナは暫く、ポカンとしていた。 モチダの屋敷のコックの作る料理は相変わらず美味しかったし、スープは体を温めてくれたが、 ツナはそれよりも早く、モチダに言葉を掛けないといけないと思っていた。 意外なことだ。まさかモチダが、自分の心配をするなどと。 全ての皿を空にし、ごちそうさまをすると、食器持って調理室に行こうとした。 しかしさきほどのメイドが、ひょいっと、ツナから食器を奪い取った。 ”早くお部屋に行って差し上げなさい” ふわりと微笑み、視線でそれを語ると、ツナも微笑み、頷いた。 ととと、と、階段を足早に上がり、モチダの部屋の前まで来ると、何だか急に緊張してきてしまった。 それでも、ドアをノックすると、中からモチダの声が聞こえた。低く響く声は、いつもの調子と変わらない。 薄っぺらだった自分の家の木の扉とは違い、モチダの家の扉はどれもこれも重たい。 何で出来ているのかツナには良く分からなかったが、全て、白一色で統一されており、豪華な装飾が施されていた。 緊張している所為で更に重たい扉を、そうっと押し開ける。 ひょこりと顔を覗かせると、モチダは少し驚いたように、ツナの方を見つめていた。 「…サワダ」 「ー…あのー」 「入れ」 漸くモチダが、椅子から立ち上がり、ツナの方に歩み寄り、扉を閉める。 華奢な体が近くに来ると、やはり鼓動が早くなりそんな自分に少し、嫌気が差した。 ツナはその場を動かず、言葉を出すのを躊躇っているようだった。 モチダも特に、唇を開かない。 「…遅くなって、すみませんでした」 ペコ、と軽く頭を下げたが、ツナはモチダを直視できなかった。怒っているかもしれないー。そう思った。 モチダがこの街を愛しているのは知っている。 そして常にこの街で噂される、ファントムを憎んでいるのも知っている。 自分は今まで、”ファントム”に会ってきたのだ。道中も、ディーノのことばかりを考えていた。 あんなに悲しい声を出させてしまってー、自分はなんてことをしてしまったのだろう。 けれど恐怖を感じているのは事実で、けれどー。 とても大切な人なのに、と、ぐるぐる考えていた。 モチダは恩人だ。しかし、ディーノも恩人である。 「いや、いい。…夜遅く出歩く時は、注意しろ」 優しげな声が、上から降ってきたものだから、ツナは漸く、顔を上げた。 少し照れているようなモチダの表情を見て、少し安堵する。 モチダは一瞬、唇を薄っすらと開いたが、何も口にはしなかった。 言葉を出さずに、ただ、見つめられるだけ。 それだけー。 ツナは不思議に思ったが、視線を外さずにいた。 扉に手を付き、ツナの顔に視線を合わせていたモチダだったが、段々、その顔を近づけてきた。 (……え) モチダの顔が、近くなっていく。 ー何だかこれは。まるで。まるで。 (え、うそ…!) モチダの顔が視界で大きくなっていくのを見ているだけで、ツナは身じろぎすらできずに固まっていた。 頭に、彼の台詞が蘇る。 『ドレスを着れば、求愛中の女性になるんだからな』 『男を抱く趣味はない』 ディーノの許を離れ、街中で力尽きたところを、モチダに助けられた。 彼の家に連れて行かれた夜に、掛けられた言葉であった。 ー今、自分はドレスを着て綺麗に化粧を施した、あの女性ではない。男なのだ。 それなのに、モチダがしようとしていることはー。 モチダは勘違いしているのだ。 ツナの本当があの女性、なのではなく、あの女性の本当が、ツナなのだ。 「モチダさん!」 ああ、もうすぐ触れてしまうー。 パっと、モチダの唇を手で塞ぐと、モチダは漸く我に帰ったらしく、顔を赤くさせた。 さきほどの行動よりも、その珍しさに、ツナはきょとんと瞳を丸くする。 暫く、二人の間に沈黙が流れる。 「−…悪い。…もう休め」 「は、はい。…おやすみなさい」 おやすみ、と言ったきり、モチダはツナを振り返らなかった。 モチダの部屋を出て、ツナは大きく息を吐いた。 モチダの部屋に居た時の緊張感を、全て吐き出したようであった。 暫くそこを動けずに、ツナは扉に寄りかかっていた。 もう一度、小さく息を吐き出すと、漸く、歩き出した。 (モチダさん、本当に好きだったのかな。あの、女性ー…) と言っても、自分なのだが。 けれど確かに、化粧を見事に施し、仮面を着け、美しいドレスを身に纏っている姿は別人のような変わりよう であったのだからーあの女性が自分だと知った時は、さぞかし驚き、肩を落としたことだろう。 もしも、本当に好きだったのならば。 (やっぱり悪いことした…) ごめんなさい、と心の中で呟きながら、自分の部屋に向かう。 とぼとぼと、長い廊下を歩いていると、曲がり角から、ごてごてとしたレースの付いた寝巻き姿の、 モチダの妹君が現れた。ツナの苦手な、ルリであった。 また何か言われる、嫌な予感を胸に抱きながらも、無視する訳にはいかずに、おやすみなさい、と軽く頭を下げる。 しかし、勿論それだけでは済まなかった。 ルリはぎょろりとツナを睨みつけると、ツン!とした様子で言い放った。 「ー…あなたがこの立派な屋敷に居るなんて!」 苦々しく顔を歪め、扇子で口許を隠すと、ルリはプイっと横を向いた。 ツナはどういう態度を取っていいのか分からず、頭を掻いていると、ルリの目が急に、輝き見開いた。 ツナの薬指の、光り輝くものを見つけたからだった。 それは、ディーノの指輪だった。全てをツナに捧げるという、ディーノの証であった。 その時に、「此処に居てくれるなら」と言われた。 そうだ。自分は、二ヶ月経てば、帰るのだー。 ツナは不安だった。ちゃんとディーノの前で、笑顔になれるのか。 自分の感じる恐怖を知って、また、悲しい思いをさせるのではないか。 そして自分は、ディーノの側に居られるだけの想いが、あるのかどうかー。 ルリはじいっと、指輪ばかりを見つめている。 外さないでほしいという彼の望みだ。ツナはいつだって、外しはしなかった。 ツナの指が動く度にまばゆい光を放つその指輪を、ルリはどうしても自分の物にしたくなった。 「−…その指輪ー、どうしたのかしら?まさか買えるわけがないわね。あなたのような下賎の者が そんな見事な輝きを手に入れる訳ないもの」 ああ、あとどのくらい嫌な言葉を聞き流したなら、この場所を離れられるだろうかーと、ツナは俯いていた。 何となく、左手を隠しながら。 「まあ!何で隠すのかしら!−…薄々、勘付いてはいたのよ。ツナ、あなたー…、それは盗んだものなのでしょう?」 「!ち、違います…っ」 「帰りが遅かったのは、泥棒をしていたからなんでしょう!」 何を言い出すのかと、ツナはギョっとした。 これは泥棒をして盗んだなんて、そんな物じゃない。大切な、大切な指輪だ。 それなのに、こんなことを言われるなんてー。 ツナは悲しくなった。 「黙っててあげてもいいわ。その代わり、その指輪をこちらに渡しなさいよ」 ぐいっとツナの手を引っ張り、ルリは強引にも、指輪を奪おうとした。 ああ、間近で見れば更に美しい。なんとも煌びやかなー。 もう彼女の頭には、指輪を手に入れることしかない。その欲望しかなかった。 |
ディーノを出せ…!という感じでしょうか…
ご、ごめんなさい…
前回もひどかったが今回は出ないということに汗
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