屋根のある、いつものベンチ付近。座りはぜずに、静かに近づいた。
漏れる吐息は白く、暗い闇の中で、ぽかりぽかりと、いくつも浮いた。
やがてそれだけでなく、そっと声を出してみた。彼がもし、居てくれるのなら、謝りたい。お礼が言いたい。
顔が、見たい。

「ディーノさん…」

一回呼んでも返事は無い。虚しく、ぽっかりと言葉だけが宙に浮いた。
いつもいるわけではないと、分かっている。
けれど、ディーノはあまりにも、ツナが望んでいる時に側に居てくれたものだから、
そんなこともすっかり忘れていたのだ。
そう、ディーノはいつだって、側に居てくれたのに、酷い目で、彼を見てしまった。

「…ディーノ、さん」

上に向かって呼びかける。返ってこない返事を、じっと待つ。
やがてツナは、手を開き、握っていたピンク・ダイヤモンドの指輪を見つめた。
眩いばかりの輝きは、ディーノが用意してくれたものに違いない。
それを考えると、ツナは胸が痛くなった。
こんなに良くしてくれるディーノに、応えてあげられていない。
それどころか、彼に恐怖を覚えてしまうのだから、ツナはどうしようもなく泣きたくなった。

「−…っディーノさん…」

三度目ー。
今度は上に向かってではなく、ただ、自分の胸の内にあるどうしようもない想いを吐き出すように、
彼の名を呼んだ。指輪さえ、見ていられなくなる。デイーノが贈ってくれた指輪だ。
彼の、自分を救ってくれようとする温かな心。それとは別に、ディーノの中には深い闇が存在する。
ツナは辛かった。どうしようもなく。全てを受け入れられずに、恐怖を拭えない自分が、悲しかった。


「−…ツナ」

聞き覚えのある、美しい声。ハっとして振り返ると、そこにはやはり、ディーノが居た。
闇に溶け込むように、やはり黒い外套に黒い靴。全ての黒の中で、髪の金色と、仮面の白だけが輝いていた。
少し濡れている瞳を見て、ディーノは心が痛んだ。
三度、自分の名を呼ばせた。
一度目、二度目、ツナが自分を呼ぶ声は、屋根の上のディーノに届いていたが、もっと名前を、呼んで欲しくてー。
そうしてあの男のことなど、忘れてしまえばいいと思った。
醜く貪欲に欲しがる心。これではツナが怯えるのも無理は無い。
それを思って、ディーノは自嘲気味に笑った。
ツナの頬に手を添えると、ツナは怯えるでもなく、その手に頬を摺り寄せた。
こんなに、温もりをくれる。これが全部、自分のものだったならば。ディーノはそう思わずにはいられなかった。

「ごめんな」
「…どうしてディーノさんが謝るんですか」
「お前を怖がらせてる」

ディーノの返事に、ツナは傷ついたように眉を寄せ、瞳を悲しませると、やがて目を瞑り、
ゆっくりと首を振った。頬に添えられたディーノの手に自分の手を重ねると、温めるように何度か摩り、
唇を当てた。トクンと、ディーノは胸を鳴らしたが、その音には知らない振りをした。
奪ってしまいそうになる自分を、抑えるのに必死だった。

「−…ツナ?」
「ディーノさんだったんですね」

そっと、手を開き、ディーノに指輪を見せる。
ツナに贈られたものは指輪だけではない。困難から救い出してくれた数々の贈り物。
あれら全て、ディーノに違いなかった。

「この指輪も、薔薇の花束もー…困った時に贈られてくるもの全部、ディーノさんだったんじゃないんですか…?」

どうして隠すのだろう。ツナは疑問に思った。ツナが以前問いかけた時は、ディーノは自分ではないと言ったが、
もはやツナは、あれはディーノなのだと確信めいた自信を持っていた。
半分を仮面で覆い隠しているディーノは、もう反面の顔に、薄い笑みを浮かべた。

「お前のことだから、オレだと知ったら受け取らないだろう?」

こんな高価な物は貰えないと、遠慮するに違いない。
こんなことをしてもらって、どうしたらいいのだろうと、自分は何も返せるものがないと、
余計な悩みを増やすだろう。ツナは、そういう人間だと、ディーノは知っていた。
そして自分は、それさえ自分の元にツナを縛っておく理由にならないだろうかと考えてしまった。
できることがないなどと、返せるものがないなどと、とんでもなかった。
この少年全てを貰えるというのなら、どんな物でも差し出すだろう。

しかし、それはあまりにも酷ー。

こんなにお前を想い、助けたのだから、今すぐに自分の側にとーその望みを言えばきっとツナは側に来てくれるのだろうが、
決して前のように心を開いてはくれないだろう。

どこまでも貪欲な自分の心を、恥じないわけではない。
ただ、打ち消すことなどできなかった。

ディーノの手を自分の頬からゆっくりと離すと、ツナはその手を、優しく握ったまま離さなかった。
ツナの瞳、も、ディーノを映したまま、逸らすことはない。

「ちゃんとオレを見てくれたのは久しぶり、だな」

ディーノの淡い微笑みを見、その言葉を聞いた途端、ツナは胸の奥がぎゅうっと締め付けられたようになり、
いかに今まで自分がディーノを傷つけていたかを、改めて知った。
抱きしめたい衝動に駆られ、ディーノの手を離すと、自分から彼の胸の中に飛び込んだ。

「ごめん、ディーノさん…」

柔らかなツナの髪をディーノが撫でると、ツナの瞳は一層濡れた。
ツナはそれきり、何も話さず、ただ、ディーノの胸の中に居た。
もう、ツナがいることでしか満たされることが出来ない。それを知っているディーノは、どうしたって、
この体を離したくは無かった。

「ツナ。ーお前の為なら、どんなものでも贈ってやる」

夜の闇に忍ばせるようにひっそりと囁くと、ツナの瞳は悲しみに揺れた。

「ディーノさんはいつもオレの側にいてくれたのに、困った時には助けてくれていたのに…!
オレは何もできなくて、ディーノさんを、傷つけてばっかりで、ごめんなさい…っ」

消え入りそうな声が、デイーノの胸の中から聞こえた。
堪らずディーノはぎゅっと力を込めたが、すぐにツナを自分の胸から離した。
あと二ヶ月、待たなければならないー。
このまま胸に閉じ込めていたら、今すぐに奪ってしまいそうだった。
ツナを見下ろし、うっすらと微笑んで、静かに首を横に降ると、ディーノは完全に、ツナから離れた。
瞳に焼き付けるように、じいっとツナを見つめると、ツナに背を向け、消えていった。








翌日、ルリは驚いた顔をしてツナの手の上に転がっている指輪を見た。
ピンク・ダイヤモンド。こんなに高価な指輪を、自分は身につけたことがあっただろうか。
否、ない。それが今、ツナの手の中にある。ツナが持ってきたのだ。
ルリは、ツナの手から指輪を奪うと、それを目の上まで持ってきて、マジマジと見つめた。
何という輝きを放つのだろうと、角度を変えて見ては、うっとりと瞳を蕩けさせた。

「それで、いいですか?」
「………」

彼は確かに約束を果たした。ルリの満足のいく指輪を、持ってきた。
それも、昨日の今日でー!
ルリは悔しかった。何の苦労もしないで、あっさりとこんなに高価な指輪を持ってくるなどと、
許せなかった。自分も手にしたことのない指輪を、こんなにも簡単に。

何としてでも、ツナを困らせてやりたいという思いで一杯になっていた。







ドエーまたしてもルリがルリがルリが…汗汗汗


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