「…ツナ、後ろ向いて…、座ってて」
「え、−…!は、はい」

噴水に背を向け、ベンチに座りなおす。ディーノが言う意味を、ツナは理解していた。
ディーノが降りてくるのだと思うと、心臓が破裂しそうになる。
今まで、声だけしか聞けなかった、心から愛する友人。それが今、自分のすぐ近くに来ようとしているのだ。
ストン、と静かに音がしたかと思うと、ツナとは反対の、噴水が見える方向を向いて、ディーノは座った。
1つのベンチに、反対向きに座る二人。

「…やっぱ雨の中、上に居るのはきついな」
「くしゃみの音、何回か聞こえました」
「はは。ばれてた?」
「3回」

笑い声が、いつもより近い。それが、嬉しかった。
ディーノが間違いなく、此処にー、隣にいるんだ、と感じることができた。
二人の、ほんの少しの間に置いてあるツナの手に触れると、ビクリとしたようだった。
しかしすぐに、握り返してくれる。
冷たいが、優しくディーノの手を包んだ少年の手は、限りなく温かかった。
ディーノは、目を優しく細めながら、シトシトと降る雨の音を聞いていた。
しかし、ツナから出た言葉に、瞳の色が変わった。

「−…ディーノさん、昨日また、化物が出たって」
「ああ。らしいな」
「ディーノさんは見たことある?」
「…ツナは?」
「ある。1度だけ。でも、顔は見えなかった」
「オレは毎日、見てる」
「…え?」

言葉を出すのを躊躇っているようなディーノは、しかしゆっくりと口を開く。

「化物は、オレなんだ」
「何ー…、え…?」
「恐怖に震え、人々は逃げ出す。醜い姿に泣きじゃくり、この世の者じゃないと、瞳で語る。
この街で知らない人間はいない。−…ツナ、お前だって知ってるだろう?」
「−……、知って…る…けど…」
「”ヴィリカのファントム”。ー……あれは、オレ…」

ツナは、頭の中が真っ白になった。
ディーノの言ってることが、理解できなかったのだ。いつものように、冗談を言っているのだろうか?
こんな、美しく、悲しく、切ない声で、冗談をー…。

(本当ー…?)

ディーノは、ファントムは自分だという。
そしてそれはきっと、本当なのだ。ディーノの手が、ほんの少しだけ、震えている。
今、自分と話しているのは、あの、噂の、恐ろしいファントム。
ディーノの手が、辛そうに、ゆっくりとツナから離れた。

「−…化物の手を包む人間なんて、いない」

ツナは、悲しくて、悲しくて、胸がぎゅうぎゅうと締め付けられた。
『ツナ』と、優しく、明るく、自分を呼ぶ声。
いつも安心させてくれていたディーノが、こんなに孤独に苦しんでいる声を出す。
彼はいつだって、望めば側で、励ましてくれた。彼の声を聞くだけで、心は落ち着いた。
ディーノは化物。醜く、皆が恐怖する、街で知らない人間はいない、ファントム。
ーディーノはそう言う。
ああ、だから、だから一体何だというのだろう。
ファントムが何か、悪い事をしたというのだろうか。
化物。ファントム。怪物。
それが、どうしたというのか。
彼が、ディーノであるということに、何か変わりがあるだろうか。
ツナの知っているディーノは、心から愛すべき存在。大切な、大切な友人。
それだけー。

街の噂よりも、婦人の、恐怖に震える肩よりも、
自分で知った全てが、信じるべきことなのではないだろうか。
一端離れたディーノの手に、自分の手をそうっと重ねる。

「ツナ……?」
「…ー…でも、オレはー…ディーノさんにどれだけ、励まされたか」
「…オレは恐ろしいもの、なのに…ー……無理、してねぇ?」

ツナは優しいから。
そう、無理に笑ったようなディーノの声に、また、切なくなる。
ディーノからは見えないだろうが、ツナは、数回首を横に振った。

「してません。−…オレがどれだけ、ディーノさんを大切か…」

どうかわかって欲しいと、ツナは言った。
ディーノの手を、優しく握ると、ディーノもそうっと、少し臆病になりながら、握り返す。
段々と力が込められてくるディーノの手に応えるように、ツナも少し力を強めた。
こんなに温かいものは、今まで自分の世界にはなかった。
もう、この手を離すことなど、考えられない。
自分の全てを捧げて愛せるのは、ツナ以外考えられない。
ディーノは、自分の唇に、ツナの手を寄せると、溢れる愛を込めて、キスをする。
雨の匂いと互いの温もりに包まれて、二人は時を過ごした。

















「ツナ!ツナ!帰ってるか!」

ディーノと別れ、皿洗いの仕事を終えたツナは、家で夕飯の準備をしていた。
すると突然、父親が大声を上げて扉を開けた。
ビクリと肩を揺らし、父を見ると、その瞳はギラギラとした欲望で満ちていた。

「喜べ!ああーこれでまた、どのくらいのワインが手に入るのか…!」
「父さん、どうしたの?」
「お前はあの日、モチダ様と会ったそうだな!」
「う、うんー…」
「お前はモチダ様に気に入られたんだ!」

ツナはパッチリと目を開けた。
父が何を言っているのか、良く分からない。

「ルリ様から今日、直々に”お願い”されてな」

父が、今朝あった出来事を興奮気味に話す。
ルリは、あの舞踏会が終わってから、兄が一人で夜空を見上げ、瞳をぼんやりさせている事に気がついた。
自分もあの、金髪の素敵な男性と会って夢見心地だったわけだが、とうとう名前は教えてもらえなかった。
だが、そこがまたミステリアスであり、ルリをますます夢中にさせた。
そうして兄を見れば、兄も自分と同じような、うっとりとした瞳をしているではないか!
ー兄も誰か、思っている。
それは、すぐに分かった。
キョウコだろうか?しかし、こんな瞳をする兄を、ルリは未だかつて見たことがなかった。
誰か違う女に違いない。そう思ったルリは、兄に問いただしたのだ。
すると、あの、アイボリーのドレスを着た女性を知らないか、と、訪ねられた。
ピアノが魅力的だった、と言う兄の言葉に、ルリはピンときた。
ー…ツナの父が連れてきた恋人だ、と。
ルリは兄を尊敬していたし、心から愛していた。
男性の理想のタイプは兄だと言ってもいいくらいだ。
ルリが愛してやまない兄は、今まで、恋に夢中になったことなどなかった。
あまり自分の内を見せない男だった。その兄が、今、こんなにも恋焦がれている。
何とかしてやりたい。そう、ツナの父が恋人なら、何百倍も素敵な兄が、恋人になれないはずがない。
もし、あの女性が卑しい女であるのなら、すぐにでもこの街から追い出してやろう。

「ねえ、この間連れてきた方、もう一回、兄に会わせて頂けないかしら?」
「はあ…、また、なんで…」
「恋人の貴方に言うのはいけないことだけど、…兄はあの方がー…気に入っているのよ。
ああ、分かっているわ。貴方という素敵な恋人がいるのだから、兄が恋人にはなれないってこと。
だから、一回だけ。ね?叶わぬ恋に身を焦がす、哀れな兄に、同情してちょうだい」

思ってもいないことを言い、シュウを持ち上げた。
すると、シュウは、いやらしく口許を上げた。

「そりゃ、勿論ー…。ですがねぇ、それ相応の、何か、気持ちを表していただかないと、ですね」
「あら…。いいわ。なんでも言ってちょうだい!
それに、兄はきっと、好きになった人には一筋で…そうね。恐ろしいほど大事にするわ。
あの女性は、その気になれば、兄から莫大なお金を貰えるのよ!
だから貴方は、あの女性からもお金を分けてもらえばいいんだわ」

シュウの目は輝いた。
その通りだー、と。

「でも、いいわ。会わせてくれるなら、好きなものを差し上げるわ」


早口で、熱い気持ちを抑え切れないでいる父の話に、ツナの心は冷え切ってしまった。
深い闇の中に、落ちていく。
また、また、危険を犯してまで、モチダの所へ行かなければいかないのだろうか。

「ツナ!お前、モチダ様を夢中にさせて、もっと金を取ってこい!何でも買って貰えるかもしれないぞ」

そうしたら、その金も物も、全部自分に回せとー、言われなくても、父の言いたいことは分かっていた。
ツナは、このまま崩れてしまうかと思った。
どうして、この父親はこんなにも無茶ばかりを言うんだろうー…、と。

結局ー
ツナが無理だと言っても聞かずに、父は勝手に約束を取り付けてきた。
夜の闇に紛れれば、顔もワカラナイだろうと。だが、念の為の仮面は、絶対に付けろと、何回も言われた。
キョウコは既に、ルリから事情を聞いていたようだった。
「ツナの父の恋人に、兄は心を奪われたのよ!だからキョウコ、残念ね!会う約束も、もうしてあるの」
そう言ったルリに、キョウコは不安になった。
ツナは大丈夫なのだろうか、と。きっとまた、父に無理を言われているに違いない、と。
それならばまた、自分が手助けをしてやらなければ!
ツナはキョウコに事情をすっかり話し、かわいそうに、顔を真っ赤にしていた。
まさかまたこんな事になるとは、思ってもみなかったのだ。



モチダに会うのは、本日、6時。





ツナ、紳士モチダに会います。



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