完璧に魅力的な女性に変身を遂げたツナは、夜の公園へと向かう。
勿論、仮面は忘れずにー。
黒いレースが付いた仮面で目元を隠しながら、約束のベンチに視線をやると、既にモチダは来ていた。

「…ー…!!」

ツナを見ると、目を見開き、立ち上がる。
あの時、忘れられなかった女性が、今また目の前に立っている!
モチダは信じられなかった。確かに、女性と会えるというのは聞いていたが、しかし…。
あの晩、あまりにもつれなくされたものだから、もしかしたら、すっぽかされるという可能性も十分に考えていたのだ。

「…無理を言ってすまない。恋人がいるのも知っている。だが、どうしても、もう一度会いたかった」

首を軽く横に振ると、ツナはベンチに腰掛けた。
顔を見られないように、十分に気をつけながら。

「今日こそは、名前を教えてもらいたい」

首を横に振り、また、黙っている。仕方がないのだ。話せば、ばれてしまうのだから。
もし、自分の話している相手がダメツナだと知られたら、どうなってしまうのだろう。
もうこの街に住めないだろう。考えるだけで、恐ろしい。
しかし、このまま逃げ出してしまった時の、父の怒りも恐ろしい。

「−…駄目、か…。…だったらピアノはどうだ?もう一度、あの音色が聴きたい」

また、首を横に降る。
ああ、ずっとこうして首を振っていなければいけないのだろうか。
ツナは既に、疲れていた。
ずっと首を振られているモチダは、どんなに悲しいことだろう。
それを思うと、更に気持ちは重くなった。
しょんぼりと俯いていると、モチダはそれを察したのか、優しい声色で、ツナに話しかけた。

「…無理を言っているのはオレだ。君が気にすることじゃない。
ー…ああ、腹がすかないか?」

そう言うと、モチダは、小さい籠の中から、アップルパイを二切れ、取り出した。
さっきから甘い匂いがすると思っていたが、正体はこれのようだった。
腹が減って仕方なかったツナは、コクコクと頷くと、モチダは微笑んで、パイを渡す。

「出かけに妹に持たされて、な。−…異様に焦げてるが、あまり気にしないでくれ」

確かに、焦げていた。
パイ生地が美味しそうに、こんがりとした色になっている部分より、黒い部分の方が遥かに多い。
ルリはあまり、料理が上手でないらしい。
しかし、照れくさそうにしているモチダがおかしくて、ツナは少し声を立てて、笑ってしまった。
モチダも驚いたかと思うと、すぐに微笑んだ。
あまりの空腹に、大口でパイを食べてしまい、ツナは「しまった」と、心がヒヤリとした。
立派なレディーは、こういう時、少しずつ、愛らしく食べるものだ。
しかしモチダは、何故だか笑っていて。
それがツナを安心させた。
それから、モチダは色々な話をした。
妹のこと、ピアノのこと、家のこと、仲間のことー、
話ができないツナは、唯々、聞いていただけだったが、モチダにはそれで十分だった。
楽しそうに、うんうん、と頷きながら話を聞き、時折堪えきれぬように、笑いが漏れる。
話をせずとも、こんなにも内面から、魅力的な空気を醸し出すー
目の前の名も知らぬ女性に、モチダは心から惹かれていた。

時計が8時を指し、ツナは立ち上がり、軽く頭を下げる。
そろそろお別れ、ということなのだろう。モチダは理解した。

「−…明日も会って欲しい」

ツナは激しく、首を横に降る。モチダの話は楽しいし、できれば違う形で、話がしたい。
こんな、ドレスを着て化粧をして、更には仮面をつけた姿ではなく。

「…待ってる。今日と同じ時間に」

どうしたらいいのか分からずに、ツナはドレスの裾を持ち上げ、その場から去った。









翌日。
煙突掃除をしている最中も、そのことばかりが頭を回った。
灰を被ったこの姿が、夕方になればまた、華麗なドレスを纏ったお姫様に変わるのかと思うと、
心が沈んだ。

こんなこと、いつまでも続くはずがない。
大体、モチダにだって失礼だ。何も話さずに、ただ頷く女性なんてー。

しかし帰れば父に、無理矢理キョウコの屋敷の前に連れ出されるのだろう。
早く支度をして、モチダの所へ行け!と。

「早く支度をしろ!貰えるものは全て、貰って来い!」

案の定、そうだった。
父は待ち構えていた。ツナが真っ黒な姿で帰ってくると、目が釣りあがった。

「何て姿だ、お前は!早くその灰を落として、キョウコ様のお屋敷へ行け!」

怒鳴られ急かされ、急いでシャワーを浴びると、家を出る。
キョウコはいつだって優しく出迎えてくれるので、とても心が和らいだ。
しかしこれからのこと(モチダに会わなければならない)を思うと、また酷く、気持ちが重くなりー…
だから。

「貰えるものは全て、だぞ。貰うんだ」

家を出る時に、ニヤニヤと下品な笑みを見せながら、やたらしつこく言った父の言葉を考えている余裕などなかった。






「あ」
「どうしたの?ツナ君」
「今日何処に行けばいいのか、聞いてこなかった…」

また怒鳴られる、と、ツナは額に手をやり、慌てて家を出たことを呪った。
キョウコがコルセットを締め上げると、ツナは苦しそうに、声を上げた。

「おじさま、噴水の広場って言ってたと思うわよ。今朝、聞いたの」

噴水の 広場ー
コルセットの苦しみも、慣れないヒールの高さで痛む足も、一瞬にして消えうせた。
息をすることも忘れ、ツナは固まった。

(そこは、ディーノさんとの……)

噴水の広場は、ディーノと会う場所だ。
女装をした格好で、仮面をつけて、男と話す為に、そこに行くなんて!
そんなみっともない所を、絶対に見られたくはない。
ツナはフラフラと、キョウコの屋敷を出た。

噴水の前に、既にモチダは来ていた。
噴水から、綺麗に輝く水が、キラキラとしている。
ツナは胸の鼓動の異常な速さと動揺に、それが綺麗だなんて思っている余裕はなかった。

「…良かった。来てくれないかと思った」

仮面の下から、不安げな眼差しでモチダを見つめる。
ディーノが来ていないかどうか、それだけが気になった。
ツナの手を取ると、モチダは例の、あのベンチへ向かう。
ああ、そこはディーノと話す場所。
ツナは足を止め、首を横に振った。

「…?どうした?足が疲れているだろう?この広場は、街から少し離れているからな」

モチダの足は容赦なく進んでいく。
あの、屋根の上の天使は今、居るのだろうか…、ツナはベンチに近づく度、ドキドキと鼓動を煩くさせた。

「ピアノもあって、立派な広場なのにー、何故かあまり、人が寄りつかない」

立派な象に、噴水だけでなく、ガラス張りの小さな部屋に、ピアノもあった。
昔、どこぞの大富豪がその部屋を作った、というのが噂にあった。
ただ、今では滅多にそのピアノが歌うことはないが。
とうとう、あのベンチに腰掛けてしまった。
ツナは上を見上げるが、何の物音もしない。

(来てないのかな…)

あんなにも彼の声が聞きたい!と、切望していたのに、今は彼の声も、彼の姿も、この広場になければいいと、
願ってしまう。
ツナがそわそわとしていると、モチダはツナの肩に、そう…、っと手を掛けた。
ビクリと、ツナが肩を揺らす。

「金銭的に、困っているそうだな」
「−……え?」

小さく声を出すと、モチダは切なそうに、眉を寄せた。

「どうして言ってくれない?−…ああ、いや。まだ会ったばかりのオレに、言う義理なんかないのは分かっている」

確かに、ツナの家は貧しいがー、しかし、今は全く別の、女性の格好をしているのだ。
ドレスだって靴だって、全てキョウコからの借り物なのだから、立派なものだ。
どう見たって、貧しい家の者には見えまい。
何故、モチダはそんな事を言い出したのだろうか。

「シュウに聞いた。…できる事があるなら、言ってくれ」
「!!」

父が!
あの父が、何か言ったのだ。
実際、シュウはモチダに、「あの女性は、借金がある」「とても大変な額だ」「食べるのにも、苦労している」
と、吹き込んでいた。
「いくらなんだ」と聞くモチダに、ツナはふるふると首を振ったが、モチダは懐の当たりから、紙束とコインを取り出した。
ツナの前に差し出されたのは、札束と、金貨が何十枚か、だった。

「…力になりたいんだ」

見たこともない大金に、目が眩み、ツナは目を背けた。
首を振りながら、モチダに背を向ける。
父の欲望の為とは知らずに、モチダはこんな大金を持ってきてしまったのだ。
ベンチに手をつき、肩を落としているツナを見て、モチダは、何と慎ましい女性なんだ、とより一層、
心を惹かれた。
貴族にはない、特別な魅力を持っているこの女性に、モチダはもう夢中だった。

「…分かった。だが、必要な時はいつでも言ってほしい」

まだモチダの方を見ようとはしないツナの手に、優しく触れる。
その瞬間。
突然、夜空に、ピアノの激しい旋律が響いた。
二人は驚き、ガラス部屋の、ピアノのある小部屋に目を向ける。

「…っ!誰だ…?」

見事なまでの正確さと、そうして、
ただただ、激しい、激しいばかりのその音色は、何かの熱を、ピアノにぶつけて送っているようでもあった。
モチダは魅了され、聞き入ってしまっているようだ。
ルリもいい腕前だが、ピアノの腕は、兄の方が上だった。情熱的な、今までに聞いたことのない音色に、言葉を失っていた。
小部屋の中には、黒い、ひっそりとした影。そこから聞こえる、鮮烈な、激しい音色。
ああ、これは、木枯らしのエチュード。ショパンだった。
ディーノもショパンが好きだと言っていた。

(−……ディーノさん…?)

確かに、あれは彼だ。彼は来ていたのだ!
黒いマントに、白い仮面をつけていて、顔は見えない。しかし、あれは、確実にー。
あの激しい旋律を奏でているのは、ディーノなのだ。
背筋がゾクリ、とするような音に、引き寄せられてしまいそうだ。
ツナは、ディーノの居る、小部屋の方へ、一歩、近づいた。
頭がぼんやりとしてしまって、自分で足を動かしているのか、よく分からない。
しかし確実に、足はディーノの方に向いていた。
しかし、それは一人の婦人の、恐怖に震える叫び声によって、中断された。

「ファントムよ!」

この世の終わりのような、甲高く絶望に満ちた声が上がるが、ピアノはまだ続く。
あのファントムをこの目で見つけてしまった、という恐怖と、そして激しいピアノに、婦人は気を失ってしまった。
モチダは女性の側に駆け寄るー途中、仮面のー、ファントムと目が合ったように思った。
燃えるような瞳で、身体を貫かれるような感覚を味わい、ぞ…っと、背筋が凍った。

ピアノの音色がやんだ。
あまりにも強烈な木枯らしのエチュードを、すっかり弾き終えたのだ。
もう「ファントム」は消えていた。

モチダがピアノの小部屋を覗いたが、誰も居ない。









今回、ディーノさんの出番があまりなくてすいません><
モチダはツナに夢中です。もはや虜です。




NEXT→

←BACK

小説へ戻る