ツナにならば、自分の情熱の全てを賭けた愛の曲を捧げられる。 彼にならばー、 ディーノが心の中で愛の歌を奏でている頃、ツナの心は不安で一杯だった。 昨日はディーノが怒っていると思ったが、今はそんな様子は全く無い。 それでも、ディーノは優しいから、気にしていないような素振りを見せているだけなのかもしれないと、 そう思った。 「…ディーノさん、昨日…ごめんなさい」 「ん?」 「怒ってた?−…ピアノの音が、何だか…」 嫉妬に身を焦がしていたーとは言えない。 全て、嫉妬からくる激情。それを、思い切り音に乗せたのだ。 嫉妬だけで、ピアノを弾き、鍵盤を叩いていた。 「怒ってねぇよ。ツナが気にすること、何もないって。ごめんな。…気にさせた?」 「あ、いえ…、はい」 「なんだそれ」 ツナの、どちらとも言えない返事に、ディーノは笑い出した。 ただ立っている時は、背筋がゾっとするような冷たさしか感じさせない白い仮面も、 今は柔らかく、温かみのある雰囲気を出していた。 「ディーノさんが謝ることなんか何もないけど、−…でも、気にー…してました」 「オレが怒ってるって?」 「−…ディーノさんが、此処に来なくなったら…」 もう涙を止めていたツナが、また、切ない声を出した。 自分が離れていってしまったらー、と、屋根の下の少年は、涙を零しそうになっているのだ。 昨夜は嫉妬で、怒りに任せたままの燃え上がるような音を奏でていたというのに、 今はどうだろう。ツナが自分の腕に戻っている最中は、愛しくて愛しくて、 −この甘く、狂おしい気持ちを、溢れる程の愛しさを、音に出来るだろうかー…。 「馬鹿だな。そんなこと有り得ねぇから、心配すんなって」 「ん…」 優しい声の主に、心からの感謝を示すように、ツナは目を閉じ、天を仰いだ。 ディーノもまた、屋根の下の愛おしい少年に、自分の中にある愛を、ひっそりと心の中で呟くと、瞳を閉じた。 「−…なあツナ。お前、舞踏会に行く頃には、きっとすげー音が出せるようになってるぜ」 「ええ?」 「オレのピアノ、ツナに全部やるよ」 「!本当に教えてくれるんですか?」 「なんだよ、信じてなかった?」 また笑い出したディーノに、ツナは口許を抑えた。 一度聴いた、木枯らしのエチュード。 あんなに難易度が高い曲を、ディーノはあの夜、見事に夜空に響かせたのだ。 もし、ディーノがピアノを教えてくれるのなら、どんなに素晴らしいことだろう。 「拍手が鳴り止まないくらいの演奏を、必ずさせると約束する。ー…でも、ツナ」 「なんですか?」 「もし、本当に舞踏会の夜、成功を収めたらー…一つ、オレの願いを聞いて欲しい」 「…?わかりました」 いつもこれだけ良くしてくれているディーノだ。 もし自分に出来ることならば、いつだって聞き入れるのに、と、ツナは思った。 しかし、優しい彼のことだ。 何もないのに、頼みごとなんて、きっとしずらいのだろう。 「願い事」が気になったツナは、ディーノに問いかけてみるが、彼は笑っただけで、答えてはくれなかった。 「で、ツナは何の曲がいいんだ?華やかで、賑やかな曲がいいよな。 華麗なる大円舞曲、英雄ポロネーズー…。ああ、ショパンでいいのか?」 「な、何でも!ディーノさんに任せます」 ポンポン、と、曲を挙げて言くディーノに、ツナの心はわくわくと、期待と喜びで溢れていた。 この指が、他の曲も奏でられるのだ。そしてそれは、ディーノによって、与えられるもので。 素晴らしく嬉しいことだ。 ディーノがいくつか候補をあげ、選曲も出来てきた。 時計台の針が、8時10指すと、ディーノは軽やかに立ち上がった。 屋根の上で、黒い影が、闇と一体になっていた。 「そろそろ行くかな。…またな、ツナ」 愛してるーと、密やかに心の中で、愛の告白を囁く。 深い闇色のマントを翻すと、一瞬後には、既にディーノは消えていた。 まだ、父親は帰って来ない。 朝、目を開くと、まず最初に思い浮かんだのが「父」のことだった。 ドレスも扇子も、それどころか割れたランプも食器も、何一つ用意できていないツナは、父親の怒鳴り声を思って 落ち着いて眠れなかった。 帰ってきませんように…と、必死に心の中で祈る。 どうしても気になって、扉をそうっと、開けてみた。 父親の気配が全くないことを期待して、不安な心を少し落ち着かせようとした。 すると、扉が、ガタン、と、何かに当たった。 ツナは驚いた。 透明な巨大な箱が、ツナの家の前に存在していたからだ。 そして中には、ドレスと扇子が入っていたからだ。 実際に箱を開け、ドレスや扇子を見てみるとー、夢でも見ているのではないかと思った。 こんなに上品な色合いで、素晴らしく豪華なデザインのドレスを、ツナは見たことはなかったし、 こんなに柔らかい毛の付いた扇子も、ツナは見たことがなかった。 華やかな2つのアイテムを、透明な箱から取り出すと、その中にはもう一つ、箱が入っていた。 もう一つの箱の中には、ランプと、食器が入っていた。 (−……、これ…) まるで昨日のことを、知っているかのような贈り物。 そして昨日のことを知っているのは、自分から話したのは、ディーノくらいだ。 (ディーノさん…?) しかし、直接渡すこともできる彼が、何故、名も明かさぬように贈り物をするのかも分からない。 (違うか…。でも、誰…) 自分と関わりのある人物を思い浮かべてみるが、やはり、こんな高価なものを贈って来るなんて、謎だった。 箱の下に、カードが一枚、入っているのを見つけて、急いでツナは、それを取り出した。 また、いつものように、黒いインクで書かれてあった。 『気に入ったのなら、使ってくれたまえ。 君の為ならば、全てを捧げよう。』 それだけしか書いていない。 いつもの如く、名前や、住所など、書いていない。 しかしこれで、父親に怒鳴られなくて済みそうだ。ホウっと胸を撫で下ろすと、改めて、贈り主に感謝の念が沸いてきた。 お礼がしたいが、誰だか分からない。 ツナはカードの裏に、感謝のメッセージを書き、それを透明な箱に入れ、家の前に置いておいた。 この贈り主が、どうかまた、この家の前を通りがかることを期待しながら。 一方、モチダ邸では、彼の瞳を捉えた謎の女性は誰なのかと、噂で一杯になっていた。 そしてそれは、屋敷の女中だけに留まらず、屋敷の外にも出回っていた。 女性を虜にしておきながら、ストイック。 スマートに物事をこなす彼の心を乱しているのは、一体、街のどの貴婦人なのかとー… 囁き合う女達の声を、ルリは今日も聞いていた。 そして、窓辺を一人、ぼうっと見つめている兄を見つけた。 「お兄様ー…、また考えてらっしゃるの?」 「…ルリ。お前は知らないんだろう?あの女性を…」 「−…シュウの恋人よ。それしか知らないけれど…でも、シュウに問いただせば…」 ルリがそこまで言うと、モチダは鋭い視線で、彼女を射抜いた。 「いけない。−…大体、あの方は酷く内気で平穏を好む。 シュウと言い合っているところなど見たら、失神してしまうだろう」 『悲しませたくはない』 そうは言っても、実際、恋人がいようがいまいが関係ない。 どうしても好きになってしまったのだから、この恋は必ず実らせるという思いが、モチダの中には確かにあった。 「ああ、分かるわ…。私、分かるのよ。私だって、あの方にもう一度お会いできたら…」 この間の仮面舞踏会に来た、不思議な紳士。 まばゆい金の光で作られた髪に、上品な仕草。 自分の全てを虜にさせたあの男性を思い、ルリはうっとりと、瞳を蕩かせた。 次の舞踏会。 もしかしたらまた、会えるのかもしれない。 そう思い、ルリは心から、舞踏会を楽しみにしていた。 そしてそれは、モチダも一緒だった。 あの女性に、会える日なのだからー…。 モルス通りから少し離れると、ガラリと世界は変わる。 貧相な家が並び、ボロボロの服を纏った人々が、うろうろと歩いている。 ここは、ツナの家の近くだ。 (−…妹にあんなことを言っておきながらー…) 舞踏会を心待ちにしている。 けれどその前に、もう一目だけでも、彼女に会いたい。 その思いがどうしても抑え切れないモチダは、ツナの家に向かっていた。 シュウの恋人ならば、家に出入りくらいするだろう。 最低だと思いつつも、どうしても、どうしても彼女に会いたいのだ。 言葉をかけなくても、彼女の瞳に、自分が映らなくても構わない。 ただ、自分の瞳に彼女を焼き付けたい。 何処を見ても、壊れかけた家ばかり。 人が住んでいるのかいないのかも分からない。 酷いところだと思いながら、足を進めていると、何処からか、ピアノの音色が聞こえてきた。 ー…ツナの家からのようだった。 モチダはその場で、止まってしまった。 (この音ー…) 素晴らしく優しく繊細な、ショパンのノクターン。 この音を、確かに自分は聴いたはずだ。 |
もしかしたら彼女が!
モチダ、ドキーン!!としました。
ツナは相変わらずディーノさん大好き!
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